日本人は“繊細で空気を読む”から「クソどうでもいい仕事」に苦しむのか、その危うい論理
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仕事をして報酬を貰うということは、誰かのためになることをした結果で報酬があると言うこと。
つまり仕事とは当たり前ですが対人間への行為です。
そうであれば、人種や国の違いは程度問題としてあるかもしれませんが、根っこは同じですよ。
仕事=人間関係である以上、どこにだって似たような問題はある。
そもそも人間が完璧ではないから、無駄があるからこそその無駄を合理的効率的にしようとし、その為に他人の力を借りたりするのが仕事の根源なのだから、仕事の中に無駄が生まれるのも必然。
人間は完璧ではないなら、人間の思考で考えた結果(こうやれば良くなるはず)が当たるとは限らず、ミスをするのが人間なのだから。
誰かからみて『クソどうでも良い仕事』でも、他の誰かからしたら『意味がある』こともあると思うので、自分の仕事を『クソどうでも良い』と思ってしまう自分の心の在り方を見つめ直した方が良いように思えますけどね。「日本人は繊細で空気を読むため「どうでもいい仕事」に苦しむ」という考え方の注意点が説明されています。
「少なくとも「空気を読む」のが日本独特であると考えすぎるのは禁物だということです」「「日本は特別」という観念が、それを批判する側にすら過剰に浸透しているのではないか、とうたがったほうがいい」つまり、「空気を読む」や「繊細な心」といったものは世界のどこにでもある人が持つ基本的性質であり、日本人だからそうとか、外国の人はこうだろうと決めつけるのは危ういという記事ですね。
ただ、この記事は「クソどうでもいい仕事の理論」デヴィット・グレーバー氏の著書本編を読んだ方がわかりやすいですね。
結論、人の本質は万国共通ということがわかりました!