「しかし」を使ってはいけない仕事のできる人が反対意見を通すときに使っている"ある接続詞"
コメント
注目のコメント
「しかしもかかしもあるか」というギャグが昔ありました。しのごの言っている場合かというニュアンスですが、相手に「しかし」「でも」と言われて傷つくのは残念です。「しかし」や「でも」のあとには、それまで自分が気づかなかったプレゼントが待っているとワクワクしないと損です。ただ、そう思わない人が多いナイーブな時代をどう乗り切るのか。難しいけど、配慮は大切ですね。
人間は感情の生き物だ。
「しかし」仕事の時くらいは理性と理論を優先させてほしいものです。
正直、こう感情で物事を決める方と仕事をするのは面倒だなぁと思ってしまいます。できるならば回避したい。
感情の部分はプライベートのお付き合いの方々で発散してほしい。
仕事の時は「お前は気に食わないが、お前の発言の方が良いものが出来そうだからそれで進めよう」位の方と仕事したいです。
「しかし」も「でも」も更に良くしようとの発言。それに決まるか更なる良いものにまとめるかは別の話。
良きものを探している最中に、そんなところに神経を使う(苛立つ)方ってどこを向いて仕事をしているのだろう?
そしてこの手の記事により、今まで何とも思っていなかった多くの人が「しかし」や「でも」を意識するようになる。
そして反対意見はさらに言いにくくなる。
プラスとマイナス。どちらの影響が大きいだろう?
これらの忖度は精神的安全性と言えるだろうか?