強制不妊、国に初の賠償命令 旧優生保護法、請求権消滅せず
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この判決には個人的にも賛成ですが、少し危ういと思うことがあります。
過去の出来事を現代の常識で裁くことが適切なのか?
それが全て成り立つとしたら、ありとあらゆることが賠償の対象になってしまいます。
今回の判決をよく読んでみようと思います。旧優生保護法の問題は特に毎日新聞社が精力的に報道していて、取材班がまとめた「強制不妊 旧優生保護法を問う」はこの問題を考えるのに外せない本です。
全国各地の毎日新聞社の記者が言葉を出せなかった被害者を、口の固い関係者を、散逸する資料を丹念に追っており、行間にこの問題に向き合う記者の顔が垣間見える一冊でもあります。
この本でも紹介されている全国で初めて実名での報道に踏み切った原告の第一審が除斥期間を理由に棄却されたとき私は次のようなコメントを書きました。
「裁判長は判決のあとに「被害の重大さ、苦労をしてきた人生がうかがわれた」としつつ「法律の壁は厚く、60年はあまりに長く、このような判断になった」と告げたそうです。しかし法律の壁の厚さ、当時の社会の状況は被害者当人にとって全く手の施しようのない事柄です。除斥期間が切れる前、1970年代に国を相手に訴訟を起こして違憲の判断を得ることが、果たして出来たのか」
そして今回の大阪高裁は除斥期間について次のような判断を示しています。
「憲法の趣旨を踏まえた施策を推進していくべき地位にあった被控訴人(国)が立法や施策によって障害者らに対する差別や偏見を正当化・固定化し、更に助長してきたとみられる。これに起因して、控訴人らが訴訟を提起する前提となる情報や相談機会へのアクセスが著しく困難な環境にあったことに照らすと、除斥期間の適用をそのまま認めることは著しく正義・公平の理念に反するというべきだ」
画期的と評価される今回の判決ですが、事情を直視すれば極めて妥当とも思えるのです。
除斥期間に関しては「人生被害」という解釈でこれを乗り越えたハンセン病訴訟熊本地裁判決が著名です。この判決を評した法学者の言葉に「なぜ知恵と勇気のある裁判官にあたるという幸運の世話にならなければならないのか」というものがあります。
https://business.nikkei.com/atcl/report/15/120100058/051100016/
今回の判決も、まさにこれにあたるのではと。次は知恵と勇気のある政治の判断が待たれます。え、、、自分が生まれる数年前までこんな法が適用されていたんですか…恥ずかしながらこの問題について、全く知りませんでした。
・1948年当時、この法が常識としてまかり通っていたこと
・48年間も撤廃されなかったこと
・賠償請求が初だったこと
全てに驚きです。以下の記事で、旧優生保護法について概観がわかりました。
『旧優生保護法ってなに?』
https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/53/