【新】「リスク・病・死」から考える、現代社会の人間像
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これは紀元前からある古い問題で、仏教は生、老、病、死という四つの苦しみを無くすことを目的として始まりました。
そもそも生まれてきたら苦しみから逃れられないので、生まれてこないのが望ましい、といった主張は古代ギリシアの哲学者たちもしていました。
ただ、仏教の世界観では、死んでも生まれ変わることが前提なので、死んでみたところで苦しみから逃れることはできません。
欲望や喜怒哀楽のような感情も苦しみの元なので消滅させる、そして輪廻の繰り返しから抜け出す、というのが、もともとの仏教の目指すところです。
古代ローマの思想家たちや、キリスト教の神学者たちも、欲望や感情を無くすことによって苦しみから抜け出す、といったことを言っているし、中国の道教でもいわれていることなので、世界各地で広く見られる発想です。
欲望が完全に無くなったら人類も滅亡するでしょうが、そういうことは全然起こらず、結局、資本主義の隆盛時代を迎えています。
所詮、生きているからには苦しみを抱えている、というのは、かなり当てはまる場合が多い認識だと思います。あとは、苦しみをどの程度増減させる生き方にするか、になります。これは、選択できる人はいいですが、選択できない立場にいない人の方が多いでしょう。
現代の日本は、おそらく物理的には選択できる人が非常に増えた時代です。他者というのは、苦しみの元です。家族への愛情も苦しみの元です。苦しみを減らすなら、飢えずに、屋根のある所に住み、人と関わらずに生きる、ということが可能な人は今の日本ならかなり多いでしょう。
他者と関わりながら苦しみたくない、というのは、無理な望みでしょう。今回取り上げるのは、医療人類学を専門とする磯野真穂さんの『他者と生きる』です。
予防医学の発達により、私たちは「今、ここ」に存在しないリスクを感知し、「より健康に、より長く生きよう」と心がけるわけですが、それによって失われていることはないだろうか?
など、さまざまな視点から人間のあり方、そして人生の尺度まで論を巡らせる同書。
コロナ以降、目に見えないリスクで身動きがとりづらくなっている中、「生きるとはどういうことか」を深く考えさせられる一冊です。西尾維新さんが書かれた『症年症女』というマンガがあります。
この作品の中で"12歳になったら必ず死んでしまうが、12歳になるまで絶対に死なない病気"が出てきます。僕はこの病気を見た時、正直「良いな」と思ってしまいました。
よくよく考えてみると、人間はマラソンであったり、夏休みの宿題であったり、終わりがあるからこそ頑張れるのではないでしょうか。映画やドラマなどで余命が明らかになった患者が自分の本当にしたい事をしだすのが良い例です。
理由はもう一つあります。それは現在の死が突然起きるからです。僕の友達の父親は脳卒中で仕事中にいきなり亡くなりました。友達は唖然として三日三晩泣きじゃくってました。最後の会話は喧嘩になってしまったそうです。もちろん"死ぬ"という行為自体悲しいコトです。しかしそれ以上に悲しいのは"突然死ぬ"コトなのではないでしょうか?
冒頭で話した"12歳になったら必ず死んでしまうが、12歳になるまで絶対に死なない病気"ですが、仮に12歳じゃなくて80歳だったら病気にかかりたい人も何人がいるのではないでしょうか。そして化学の進歩で限りなく80歳までは死なない身体に僕達はなってきています。だとするのであればコレから社会の倫理感がどう変化していくのか楽しみです。