「一発の爆弾で10万人を殺し、大義を主張する動物」人類に"教養"が必要なこれだけの理由
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注目のコメント
人間に教養は、必要だと思います。Wisdomという方が良いかもしれません。
ただ、それは、村上氏が言われる「本能が壊れた残虐な動物である人間に社会に適合させる慎みを持たせるため」とは、全く逆の理由だと感じたので、簡潔にコメントします。
教養は、「洗脳する社会から、本来の本能(人間性)を呼び覚ますためのもの」だと信じます。
人間は、「他人のために自らの命さえ犠牲にできる動物」です。「他人の痛みを感じ、涙する動物」です。生まれたての赤ん坊は、愛国心で他国民と戦おうとも、金や権力や名声を得ようとも、露ほども思いません。「一発の爆弾で10万人を殺し、大義を主張する動物」は、本来の人間ではないのだと思います。国も、金も、この世には実存しない、妄想(概念)にすぎません。人間は、そういう概念を共有して社会を形成できる動物です。他の動物よりも、少しだけ“脳力”が優れていることで、善悪や正義や常識等の数々の社会が作った妄想に容易に洗脳され、踊らされ、本来、動物として持って生まれた本能を忘れて、過ちを犯すことができる生物です。
人間は、「本能が壊れた哺乳動物」ではなく、社会の洗脳によって、「本能を忘れてしまいやすい動物」なだけです。そして、教養は「人間性(憎や悪)の歯止め(慎み=社会において許容される行為)のため」などではなく、それとは全く逆で、「社会による洗脳で、人間性(愛や善)を失って、人間として許容される行為をしないために、正義とやらで(人間性を失って)残虐なことをしないため」に、必要なのだと思います。
大きな目(脳力)を持ったが故に、他の生き物たちより、良く見えている(と思っている)人間が、「実は幻想に惑わされている」ことに気づくき、(人のために自らを犠牲にできる)本来のヒトに戻るために、教養や知恵や英知は、存在するのだと思います。
ヒトが見えている可視光は、電磁波の中の極一部です。鳥は、人間が全く見えない紫外領域の光も感じながら普通に生きています。そのことを知ることで、人間は、謙虚になれます。
最後に、このようなことを考えてみる機会を与えてくれた、村上氏、プレジデント社、そしてNPに、感謝を伝えたいと思います。こういう話をする先生が私は個人的にすごく好きなのですが、言われてみればそうだよね、と思うことがたくさん。人間が好き勝手にやったら戦争、犯罪と悪いことが起き続ける中、何がその抑止力となっているのか考えるのは面白いですね。
「教養」の定義をどこに置くかも重要ではないかと。
「そして「教養」という概念の少なくとも一部は、ここで言う「理性の戒め」を実行するための根源として働くと私は考えています。」