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日銀 歴史的円高に危機感 2011年後半の金融政策決定会合議事録

NHKニュース
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    (株)TOASU特別研究員(経済評論家・コンサルタント)

    米国発のリーマン危機が欧州に飛び火して金融危機が起き、世界の投機マネーが安全資産とされていたスイスフランや円、中でも取引量も流動性も高く大きな取引が出来る円に集中して円高が一気に進んだ時のことですね。とはいえ長引く経済停滞の中で落ち続けて来た円の実力(≒実質実効為替相場)が2000年代前半の水準まで戻っただけで、日本企業にかつての力があれば、あの程度の円高で動じることは無かったように思います。
    ところが高い税金と社会保険料負担、技術革新を拒む諸規制、時代に遅れ柔軟性を失った雇用環境と人材の質、農業を守って成長産業に厳しい日本の貿易協定網、高い電力等の社会インフラ、バブル崩壊で保守的になった銀行の融資姿勢といった諸々の要因が重なって日本のビジネス環境が劣化し、日本の企業が国際競争力を失い、日本を逃げ出す事態が起きていたのです。
    当時の円高が輸出主導の企業を追い込み、日本を逃げ出す原因の一つであったことは事実ですが、それが全ての原因ではありません。当時、膨大なエネルギーと時間が掛かって敵を作ることも多い構造改革に取り組む機運は政治家にも経営者にも乏しく、誰も悪者にならない円高と、それを阻止しない日銀に全ての責任が押し付けられていたきらいがありました。その結果、日銀にどんどんお金を刷らせると公言する安倍政権が2012年の末に誕生し、黒田日銀総裁の異次元緩和が始まりました。
    さしもの金融危機も小康状態になり2012年の秋口には世界のマネーがリスクオンに戻って円安傾向が出始めていました。そこに極端な金融緩和を主張する安倍総理が誕生しましたから円安傾向が一気に強まって、2度の黒田バズーカを経て一時は125円を超える円安になったのです。その結果、今では円の実力は当時の7割弱に落ち、1990年代の半ばから見ると半分程度の価値しかありません。日本の賃金がシンガポール、香港はおろか韓国、台湾にも抜かれかねない要因の一つです。
    当時、極端な緩和に慎重だった白川日銀は政府からも経営者からも、そしてリフレ派と呼ばれる人たちからも叩かれ続けました。そうした環境の中での議事録です。円高と金融緩和の是非にばかり注目が集まって日本のビジネス環境の劣化が放置されたのもまた事実。悪い円安の声も聞こえるようになったいま、その評価は歴史を待つしかなさそうな・・・ (・・;


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    第一生命経済研究所 首席エコノミスト

    その後のインフレ目標2%導入や黒田バズーカーと比べればToo littleでしたね。


  • proproアーキテクト | 元ファンドマネジャー

    文藝春秋2012年3月号に白川総裁の寄稿文が掲載されたことを懐かしく思い出します。思えばあれは、世紀の方針転換を控えた日銀による、自らを説明しようとする精いっぱいの「コミュニケーション」だったのでしょう。それは必ずしも世間に広く伝えようというのではなく、文藝春秋を読むような、政財界トップに対する「私的コミュニケーション」のきらいがあったように思います。

    正副総裁以下、日銀の審議委員や理事の講演・挨拶文はHPで公表されるのが原則ですが、現職総裁があのような文章を必ずしも公表とは言えない形で世に出したのは極めて異例だったようにも思います。それを読むと、来たる緩和政策へのシフトを読み取ることができ、確か文藝春秋発売の数日後が政策決定会合だった記憶があります。

    文藝春秋という媒体がどのように位置付けられているかが窺い知れる、興味深いエピソードです。


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