「俺たちは透明人間ですかね」 "送料無料"が引き起こす運び手軽視の波
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なんだか色々考えてしまいますね。
送料無料 と 送料込み だと、消費者側のお得感は全然違うと思う。だから中々表現変えられないのだとおもいます。
他の無料で提供される物と、送料無料の大きな違いは、それを実現するのにかかる労働の量 と質が圧倒的に多いことですね。輸送コストはある程度はまとめて運べるので、スケールメリットはある程度出せるけど、結局1つ運ぶのに必ず人間の労働がついてまわる
ATM手数料無料は1回ATM作ったら、ほとんど人の労働要らない(裏で動いているシステムの開発、維持費用はかかるけどまとめて出来るので、誤差の範囲) 。牛丼の味噌汁無料なんかも、労働自体は凄く軽微。
注目のコメント
いい記事、だ。
メディアの役割の一つが、伝わりにくい「大切な情報」を伝えること、だと思う。この記事は、まさにそんな内容になっている。
言われてみれば「なるほど」であり、今まで気づかなくて「申し訳ない」ということに光を当てている。
それだけ「当たり前」ではあるのだけれど、人はそこまで周囲に注意を払って観察していない。特に消費者の立場になったとたん誰しも「ワガママ」になりがちだ。
便利さや安さの影には、必ず誰かの「努力」が存在する。その努力は、実は対価に変換しなければいけないことでもある。運送・流通業界にも、フェアトレードを、なのだ。我々も製造業なので、仮にサービスで取り返すので我々が提供した製品は無料にすると言われたら、感情的には寂しいし、価値を認めてもらえない徒労感のようなものも理解できる。
ただこれに忖度せよというなら、実質無料で売られている携帯電話の設計者や製造現場も、金利手数料無料にしている通販会社の裏にいる金融機関も、弁当や牛丼買ったら無料で付いてくる味噌汁のワカメや味噌の生産者も、皆忖度して"無料"と言うなということになってしまう。
製品にせよサービスにせよ、一度売ってしまったら、どう値決めしてどう訴求するかは買い手の自由なので、ここを変えようとするのは筋が悪いのではないかと思う。