【新教養】冷笑主義は、もう終わりにしよう
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今週は、世界の知性たちの思考の形跡を、コンテンツの目利きとしてセレクトしました。どれも未邦訳のものを丁寧に独占翻訳してお届けしていきます。
あえて日本人向けにチューニングもしていません。世界はいまどう考えているのか、国を問わずDeep thinkerたちと一緒に考えていく一週間にできればと思います。
第一回のゲストは、年頭挨拶でも紹介したオランダの若き知の巨人、ルトガー・ブレグマンです。
https://newspicks.com/news/6521102少し長いですね笑。完全なる主観ですが、要点をまとめます。
・何千年ものあいだ、最も友好的な人が最も多くの子供をもうけ、自分の遺伝子を次の世代に伝えられる可能性が高かったのです。より適応力があるということですね。
・友人は最も重要な保険です。病気になっても、苦しいときも、生き延びるために友人が助けてくれます。
・邪悪さは突然、やってくるわけではない。社会が自らを蝕んでいく、非常に緩やかなプロセスなのです。
・「他人について何を推測するか」は、「その人から何を得るか」ということです。
・1950年代に提唱された「接触仮説」というものがあります。人と知り合えば、その人を好きになる。実際にその人に会えば、憎しみや人種差別、偏見に対する最良の薬になる。今も最善の答えでしょう。
・不思議なことに、人は何かについて詳しく聞くうちに、怒りがこみ上げるものです。物事がますます悪くなるように感じる。しかし人々が怒っているということは、すでに正しい方向に向かっているんです。誰も話題にしないときこそ、最悪の状況になっているものです。
・非相補的行動とは、自分にひどい仕打ちをする人に、親切に接することです。非相補的行動は、ときに大きな力を発揮します。ちなみに、ヨーロッパのテロ対策プログラムでも行われています。例えばデンマークでは、過激化する危険のある人々に、共感と思いやりを持って働きかけています。
・過剰な楽観主義は、何もしないことの言い訳にもなる。それは怠惰と同じです。
・歴史家として常に魅了されてきたことの1つは、非現実的なものから現実的なものへ、想像できないものから想像できるものへ、という流れです。いつの時代でも人間は多面性をもっています。その時の価値観によって、「悪」になったり「善」になったりすることも。単純に白黒で割り切れるほど人は単純ではありません。
生存するための自己防衛力が、その時々のシチュエーションによって作動します。それが悪と評価されることもあれば、善と言われることもあります。
ただ、基本的に、人は「善」であると思いたい。そうしなければ、日々の社会生活はできません。常に疑心暗鬼ではストレスがたまりっぱなしでしょう。