「何かもう疲れてしまった。だめなお母さんでごめんなさい」 障害がある17歳の息子を絞殺した母の絶望 ワンオペ育児、自身のうつ病
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読むのが辛すぎる記事。読む限り、このお母さんいろんな方法でSOSを出していたと思う。
事件の2日前にかかりつけ医に死にたいと訴えていたり、卒業後の進路が決まらない息子さんの支援学校の先生と面談していたり。離婚、うつ病、ワンオペ、息子さんの介助、母親の介護、すべてがのしかかった状態を何年続けていたのか。
似たような状態に追い詰められている人が自分の近所に住んでいた場合、どうやって声をかけることができるのか。
地域の活動やNPOの支援等もあるけれど、最初に繋がるまでの一歩、情報を得るまでが本当に壁なのだと感じる。このような生活の中で、目の前にいっぱいいっぱいの時に、外への繋がりを自分で作ろうとゆとりもってできるのだろうか。
どんな活動があっても、知らなかったら、本人からしたら存在しないのと同じだ。
注目のコメント
読んでいて辛くなるほど痛ましい事件です。
本人が周囲にSOSをうまく出せなかったこちを原因のように書いていますが、障害者支援施設からも受け入れを拒否されたり、事件1日前にも支援学校の担任と面談しているし、当日の午前も別の施設を見学している。事件の2日前にはかかりつけの医院死にたい気持ちすら訴えていた。周囲に頼ろうと懸命に行動しているのに、誰もそれに手を差し伸べてくれなかったというのが本人の正直な気持ちではないか。
殺したくはなかったし、死にたくなんてなかったでしょう。ギリギリまで一生懸命息子とともに生きようとした。彼女が求めていたのは、物理的な支援もさることながら「辛いね。でももうそんなに頑張らなくていいよ」と一緒に泣いてくれる誰かがいて、「少し休もう」という一言と休息だったのではないかと思えてならない。
8050問題はこれからもっと顕在化する。決して対岸の出来事ではない。介護に疲れた学生が祖母を殺してしまうと言う事件もありました。
可哀想とか言っているだけでは無くなりませんので、少なくとも周りの友人・同僚においてだけでも、自分が気づいてあげられる存在になりたいと思っています。
今都心から離れた所に住んでおりますが、近隣住人間で名前や家族構成くらいは分かりますし、余った果物や野菜を分けあったりと交流があります。小さな行事もあります。子供が泣いていたら大丈夫?なんて声かけに来てくれる人が周りにいます。
こう言う小さいコミュニティで助け合うのが理想と思います。どんなにIT化が進み、アプリでママ友や同じ境遇のSNS友だちができても、地域のセーフティネットの役割ではリアルの方が価値があると思います。
毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20201028/k00/00m/040/074000c