先進諸国と日本の違いは、企業が従業員に与える「柔軟性」の量 リンダ・グラットン氏が説く、アフターコロナの真の問題点
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注目のコメント
「賢さ」という言葉が出てきます。英語で言うとSmartでしょうか。著者で書いていますが、今日本に欠けているのは個人の「賢さ」です。資本主義や経済の観点では「考える消費」と呼びました。働く現場でもこの「賢さ」が不足しているように私も感じることが度々です。
働く柔軟性という風にも表現されていますが、「賢さ」とはしなやかさでもあります。価値観が希薄化している日本の社会では、どうすれば自分が幸せか、同僚や上司が幸せか、そして会社また社会が幸せか、を一人ひとりが考えられなくなってしまっています。
画一的な価値観やルールは古い時代、旧来資本主義的社会において、最高のやり方ではなくなってきています。一人ひとりが「賢く」働くことがその近道だと思っています。従業員の柔軟性は組織にも個人にも深刻な問題です。
組織は従業員の不平不満を恐れて見かけの平等・公平に走り、従業員は誰かの柔軟性は特別なものとしてしまいます。一律・同質扱いが嫌だとしながら、空気の圧力に屈して一律・同質に戻ってしまいます。
抜け出すためには、柔軟性な扱いとそれに付随する諸々の影響について、説明責任を背負ってしっかりと伝えることだと考えています。しかし、残念ながら、組織も個人もそこまで背負える程度に賢くなりきれていないのかもしれません。「日本企業に足りていないのは「従業員に柔軟性を与える」こと」
公務員も同じだと思う。
僕の周りの人たちは真面目で、仕事に命をかけるみたいな考え方をする人が結構いた。
そして、その考え方を押し付ける人も多かった。
たまに自分が「奴隷みたいだな」と感じたのは、こういうことの積み重ねから来ていたのだろう。