「自分らしさ」のゴリ押しは、「自分のラクな生き方」ではない
コメント
選択しているユーザー
注目のコメント
自分の楽な生き方は確かにそのままの自分らしさではないですね。少しのチャレンジを好きでもないかもしれないけれども、繰り返し繰り返し努力して積み重ねていると、気がつけばコンフォートゾーンが広がっている状態のように、小さくても多少のストレスがかかっても、きついなと思うことでも、向かい合えばいつのまにか自分の糧になっている状態がいいのではないでしょうか。
自然体であること、しなやかに過ごすことは大事なことですが、ただ楽な方向にだけ自分をそちらに倒して進めることを自分らしさだと定義してしまうと、せっかく個々に持っているはずの伸びしろが失われてしまいます。
自分自身がどこまで頑張れるのか、負荷があってもここまでなら耐えられる、でも時には自然に身を任せのような感じで、バランスが必要なのだと思います。自分らしくなければならない。
まったくそんなことはありません。自分らしさが流行り言葉のようになって、生きづらくなっているくらいですから。
自分らしくていいというのは、人と比べて自分の価値を下げてしまうことを避けるため。
一方、好きなことだけをするとか、今のままでいいということでもない。自分の可能性を信じて、自分らしく成長することが大事。
そもそも、自分らしくなれって言われてなるものじゃないですから。自分のペースで学び続けましょう。好きなことを仕事にしない方が良い、という論調と同じですよね。
ま、好きなことというのは、普段は何らかの制限があってできない環境があって、その合間にやるからこそ好きで楽しいという状態が続けられるワケですよ。
逆に言えば、嫌なことだと思っていたことでも、制限がかかって出来なくなるとそれをやりたくなることもありますよね。
今の時代なら、出社がそれに当たりますよね。
在宅勤務が可能になっている場合、個人として合理的に生活を考えたら在宅勤務が良いに決まっています。家族からも在宅勤務を求められることが多いでしょう。
しかしそうなると、コロナ前はイヤイヤだった出社が、たまに出社するのは気分転換になり楽しくなる。これは出社することに制限が掛かったからですよね。
そういうことですよ。