夫婦別姓認めぬ民法 「合憲」4裁判官、罷免要求突出 国民審査
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小学校で習ったことを思い出すと、憲法で認める基本的人権三つの一つに法の下の平等というものがあったなと。そして、裁判官には違憲立法審査権があって、それは「憲法違反だ!」という訴えに対して「この法律は憲法に違反している」と判決で言うことで行われるのであったなと…
今回の4裁判官は、この審査を求めて起こされた訴えに対して合憲の判断をした人たちなので、男女別姓を認めない民法が基本的人権に違反していないと言った人たちってことですよね。
姓を変えると、さまざまな手続きにかかる出費や労力、名前を認識されないことなどによる社会的損失や不利益、また自分のアイデンティティの一部を形成する名前を変更することで精神的苦痛も生じますが(やってみてください。私にとっては最悪の経験の一つでした。)そういう事も、平等を損なう程度ではないと判断した人たちということですよね。
法律には必ず解釈の余地があり、今回全員の裁判官が合憲と判断していないことから、法律解釈的にも判断の分かれる事案であることがわかります。
この違憲立法審査権を持って立法府である国会を牽制することです三権分立が保障される大事な権利と習ったなぁと。国民審査権は、この三権分立の一翼を担う裁判官のトップの法律判断をチェックするためにあるものだから、彼らの判決がおかしいと思ったらバツをつけることで意思を表明するのが国民の権利と習ったなぁと。
今回は男女別姓は基本的人権ではない。不利益は生じない。つまり、法の下の平等は結婚で姓を必ず同一にしなくてはいけない、戸籍上の姓を変えることで不平等は起きない、という判断をした人たちと言うことですから、意見を国民審査権でチェックするのにふさわしかったのだと思うんですが。
小学校で習ったお話しですが。僕は夫婦別姓をぜひ認めるべきと思っていますが、そう断った上で・・・
あくまで原則論かつ一般論ではありますが、裁判官というのは「民意」に左右されてはいけない立場のはず。たとえ国民の99%が悪法と思っていても、それが憲法で許される範囲内ならば、「合憲」と言わなくてはいけないということ。
民意に基づいて悪法を変えるのは、裁判所ではなく、国会の役割です。
スポーツの審判が観客の声援やブーイングに影響されてはいけないのと同じ。
だから、最高裁判官の国民審査という仕組みは、三権分立の原則との整合性に欠ける面があるんじゃないかとも思います。
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おっと、僕なんかのコメントが予想外にLIkeを集めてしまったので誤解なきように補足。
現実的には、もちろん憲法や法律の解釈は時代とともに変わります。たとえばアメリカの憲法では all "men" are created equal と謳われています。もちろん当時は男女平等なんて考えられていなかったわけですし、なんとなればmenは白人しか含まれていなかった訳ですが、現代においてはもちろん、これを字義通り解釈し、あるいは憲法を書いた人の意図を汲んで、男しか平等じゃない!とはいきません。
ですから、当然裁判官も「時代の流れ」というようなものを意識するべき面はあるわけです。本件含め、アメリカのトランプの判事みたいに、憲法やら法律やらを全て字義通りに解釈せい、と言いたいのではありません。
ですが、そうは言った上でやはり、国民が党派性の高い特定の案件に対する判断に基づいて裁判官にマルバツを付けることが常態化してしまうと、陰に陽に裁判官がその場その場の「国民の声」に過度に敏感になってしまうインセンティブになるのでは、というのが僕の懸念です。今回はTwitterでこの4人にバツをつけよう、みたいな呼びかけが出回ってましたし。
なかなか難しいことではありますが、やはり基本的には裁判官の独立を尊重し、国民審査においては特定の政治的にホットな判例のみを見てマルバツをつけるのではなく、大局的な視点でその裁判官の資質を評価するのが、憲法で本来意図された国民審査なんじゃないかと思います。これ、筋違いな話ですよね。法律論で言えば、夫婦のどちらに苗字をあわせても自由なのだから、民法規定は平等の観点からみても全くの合憲。
この問題を解決できるのは裁判官ではなく、政策論を語れる国会議員のはずで、裁判所を批判するのは筋違い。国民審査ではなく衆院選への投票で意見を示すべきでしょ。