もう価格には意味がない?若者が「お金を払いたい」と思うものとは?
コメント
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「共感」「良いモノだけでは稼げない」ということには納得です。
全くの専門外なので、的外れなことを言っているかもしれませんが、気になったことを幾つか挙げさせてください。
①
図3ですが、需要曲線のところまでピンク色で塗りつぶされていますが、実際には「現在の供給曲線」から水平に引いた線より上側が消費者余剰ですよね?
それより下は生産者余剰となるのではないかと思っています。
②
見方が間違っているのかもしれませんが、供給曲線がフラットになるようなコンテンツは、同時に、需要曲線もフラットになったりしないんでしょうか?コンテンツが溢れているのが当たり前のような状態で、「数量Qが減っても別のコンテンツに移ればいいなら、高いお金をださなくてもいいや」とはならないのでしょうか?
むしろ、「コンテンツにお金を出そうが出すまいが追加のハッピー度はほとんど変わらないし、だったら「共感」のような付加価値の高いコンテンツにお金を出す」という方が、個人的にはしっくりきます。
③
>今の若い方は「これくらいの金額でこんなに恵まれている
>のが当たり前」という感覚の中で育ちますもんね
当たり前と思っている人は、そもそも恵まれていると思わないので、そこに追加のハッピーは感じないのでは?
すみません...、批判的になってしまいましたが、どうしても今の若い方たちが昔と比べてハッピーとは思えなかったので、懐疑的になってしまいました...
注目のコメント
共感型の消費が増えていると言う側面と、SNS世代の「マウント疲れ」みたいなものもあるのかな、と思います。
贅沢品は基本承認欲求のために買うけども、そう言う物をひけらかす行動自体が「ダサい」というなんとなくの風潮もある。としたら、残るのは究極「自己満足」で、そこに毛が生えたのが「応援経済」なのではないかな、と。応援してたら自分も嬉しくなるし、これ以上の幸福感はなかなか無いと思います。
共感型と言うのは自分の中で完結できる消費なので、心が疲れないんですよね。むしろワクワクする。何も新しいことでは無く、より本質的な消費行動に戻っていると言うことなのかな、とは思います。「伝え方に力を入れないと伝わらない」とあるように、共感・応援で人を惹き付けるのは至難の技です。製品やサービスだけでなく、日頃の情報発信の在り方にも通じますね。
情報が溢れているので、時間やお金を割いてまで手に取るもの、観るもの、読むもののハードルが上がってます。最初の掴みから工夫してブランディングしていかないと、一定の時間とお金を割いてもらえるようにはできないですね。日本は貧乏な国になってきているけど、そこそこ豊かな暮らしができているのは消費者余剰で説明ができるんですね
ほぼ無料で面白いコンテンツを摂取し放題となった現代は、どこもかしこもアヘン窟と化していると表現しているのを聞いたことがあります。
昔のアヘン窟の住人は、アヘンを買うお金を稼ぐために働く意欲がありましたが、現代のアヘン窟の住人はほぼ無料でアヘンを吸い放題なので、働かなくなっていくのかもしれません
そんなアヘン中毒者に対して高い物を売るために共感だのプロセスだので工夫していますが、本当に限界費用が0になった時に、無料のアヘンに勝てる物はあるのでしょうか