【ウスビ・サコ】コロナ禍で消えた「偶然の価値」を取り戻せ
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大学生の時に周りで流行っていたluck factorという本がありましたが、(超うろ覚えですが)「運の良い人を分析したら、多くの人と会っている傾向があった。つまりは色々な人と会う事でチャンスの打席が増えるのと、価値観が広がるとチャンスと認識できる球種が増えるという事」と当時解釈していました。
最近だとプランドハップンスタンス理論というキーワードも似たような趣旨だったと理解してます。
宇宙とは自分のいる場所に光が届く範囲まで、一光年ずれたらその場所ごとに違う宇宙である、という話も昔聞きましたが、人の宇宙を理解する事で自分の枠を広げ、そこに企図しないものを生み出していくことが人生の成長や楽しみにつながっていくものだと思うので、偶然の出会いの減少に警鐘を鳴らすサコ氏に賛同します。
注目のコメント
今日のお話は、まさに流行りの「イノベーション」の難しさの本質を表していると感じました。偶然がなければ新しいことは生まれない、だからその土壌を作らないといけないのですが、そうしたことは間違いなくコスト増で「ムダ」に見える。大学ですらそうだとすれば、企業ではなおさら。このバランスをどうしていくか、本当のムダと投資としてのムダをどう見極めるか…悩みは尽きません。
「偶然の価値」というのは、自分が考えたことのなかったことや、出会おうとも思っていなかったものに出会う、ということでしょう。
現代では情報収集がずいぶん簡単になりましたが、基本的に、収集する情報は、自分が知りたい情報です。全く未知のことについては、情報収取を始めようと思うこともありません。
現代日本人は、面識のない人に話しかけるということはあまりしないし、それこそ宗教の勧誘かキャッチセールスかと警戒されます。しかし、日本の歴史を通して、通りかかった僧侶の辻説法や旅芸人一座に衝撃を受けて、人生が変わった、という人々もいたでしょう。今では、僧侶であれ右翼であれ左翼であれ、辻説法する人は減ったし、選挙立候補者の演説だとあまり衝撃はないでしょう。
コモンズ、というスペースは、日本の大学でもずいぶん設置するところが増えましたが、コロナ禍では、どの大学も閉鎖しているでしょう。
大学というのは、かつては入学時の洗礼というもので、寮の先輩や演劇サークル、訳の分からないことを話す教授などに衝撃を受ける場でもありました。
今はそういうことは整理されてずいぶん低調になりました。そういう期待を持った新入生が宗教の勧誘やスーパーフリーのような団体の標的になった、ということもあります。
コモンズ、というのは、いきなり未知の人と遭遇するということではなくても、同じ授業や同じゼミの人だけど、あまり話したことが無い人と、共同作業したり、じっくり話す場、といった位置づけでしょう。
個人的には、大学内などだいたい同質の人間が集まるのだから、今の時代は、外国に行ったり、世界中の同好の士とつながって、これまで会ったことのない人間と会う機会などいくらでもつくれるだろうとは思います。
それでも、日常的に接する同じ学生から得られることもあるでしょうから、学生同士の交流を促すのは、たぶん有益なことであり、そういう期待を持つ学生も多いのでしょう。ジャンルの細分化とインターネット空間の発達で「場」が細かく分断され、セレンディピティが起こりにくくなってしまった今。コロナ禍が、それに拍車をかけました。
サコ先生の連載最終回では、先生が考える「場」としての大学の可能性に迫ります。