尾身会長が明かす「ジレンマ」
コメント
注目のコメント
ご意見を聞いていると、次のことが気になります。
・ワクチン接種が進んでいるということ全く考慮していない
・オリパラで気分が舞い上がることが、コロナ感染を拡大するという考え
これでは、高齢者優先でワクチン接種を支援してきた若者の納得感はない。
また、国民には自由があるわけで、前に向きに生きることがダメという考えはちょっと理解不可。また、若者と高齢者の1年の価値は全く違うという点も考えないといけない。尾身先生の自治医大時代の公衆衛生の授業でアメリカの公衆衛生大学院で勉強するようになりました。先日の首相会見後の夜中のアメーバTVでの論議でもジレンマを少し述べられていました。政治は一度進むと正しいとして突き進むしかなく方向転換が難しい、公衆衛生は時々にで臨機応変(特にコロナのように動的に動く状況)に方針を変えます。そう言ったことも述べられてました。国際公衆衛生師として一点だけは意見が違います。人流抑制については個人的にも情報を持って現在医学論文に提出中ですが、同意していないです。楽しみにしています。
コンセンサスという言葉が出たのが一番印象に残りました。理由の説明はコンセンサスのないものを切り捨てる正当化でもあると思うのですが、とはいえ、過去脈々と続く"国民の総意"という幻が政には必要なのかと感じました。
組織の創業時や非常時に同質的な組織が強いのはコンセンサスが取りやすく説明工数少なくゴールへの最短距離を走りやすいからだと思います。行政組織へのコミュニケーションと、国民へのコミュニケーションとは、丁寧に区別する必要があるのだなと感じました。
あと早く走るために捨てる(選ぶ)のか、長く走るために皆を集めるのか(確かどこかの国の諺だったような...)、という切り口も考える必要があるのかなと。
分断は長期的な繁栄には向かない可能性が高いから、みんなの総意を取りまとめてみんなで頑張ろう!という結局なんだか空虚な結論になってしまいそうなのですが、捨てるにせよ、集めるににせよ、なぜ・なんのためにの時代なんだなぁとNewsPicks特集に染まりながら思いました。
補足
自分が感じたもやもやは、多様性とコンセンサスが真逆にあるような、なんとも言えない違和感です。インクルーシブであることはみんなが同じ意見になることではなくて、みんなが尊重し合って意見を言い合い、出来るだけ納得を求めながら何かが選ばれていくプロセスではないのかな。
オリンピックの時から感じていたトップメッセージの違和感と同じかもしれない。一致団結してとか、人々が一丸となって、とか。盛り上がれない気持ちを抱える人がいた場合、ハリボテの総意に意味があるのかな、と。
もちろん一致団結の素晴らしさを否定するものではないし、出来るだけ多くの力を求めることはいいこと!ただ輪の外側をないことにするのは違和感。
輪の内側と外側を人々の選択権を保証するための、説明責任であり、そこにはPurposeが含まれるのだと思う。