アフガン軍閥、一部地域奪還=タリバン、地方統制へ州知事の協力模索
コメント
選択しているユーザー
アフガニスタンの歴史を遡ると一つの王朝が長続きした例は太古の昔から殆んど無く、時代ごとに大帝国や遊牧民族国家が代わる代わる制圧し、毎回戦場になるという悲惨な歴史を続けています。時代ごとに各民族が移住・流入し、それぞれの地域に分かれて居住し続けているといった状態が既に数十年ではなく数百年という単位で続いている訳で、「民主的な国民国家」という統治形態を機能させるのはそれ自体で相当に難しいのではないかと思います。
もしも何かしらの方法でこのような多民族国家を一つの国として纏めておこうとするならば、それこそ複数の氏族・軍閥単位での領域・州を連邦制で纏めるなど、何かしら各領域へ部分的な自治権を許容する体制としなければ無理だと思いますが、タリバンがそのような体制を許容するとも思えず、従ってまた戦乱の歴史が繰り返される事は道理であろうと思います。
(そもそも、二度の大戦を経て西洋諸国が引いた勝手な国境線を再設定する所から大手術が必要だと思いますが、イスラームも諸派分裂しタリバンとて民族的・宗派的に一枚岩ではないため、そのような話し合いが持てるような状況が整うのは何十年後・何百年後になるのか…気が遠くなります)
注目のコメント
アフガニスタンは、未だかつて近代的な国家が国全体を統治したことはありません。都市部に政府はあっても、行政や教育、通貨が行き渡ってない地域が非常に広いです。
多民族国家であるということはよくいわれますが(パシュトゥーン人45%、タジク人25%、ウズベク人10%、ハザラ人10%)、それではパシュトゥーン人やタジク人という民族の中では一致団結しているのかというと、そんなことはありません。民族の中で、多くのバラバラな勢力に分かれています。
ほとんどのアフガニスタン人にとって、リアルな世界というのは、自分が生活している地域共同体です。八つ墓村の住民のようなもので、その外のことは、中のことに比べれば、はるかにどうでもいいことです。
ターリバーンにとっても、すでに崩壊した傀儡政府にとってもそうでしたが、アフガニスタン全土を統治するというのは、実際には無理です。可能なのは、実際は多数の地域共同体の集まりに過ぎないアフガニスタンという国を、都市部を押さえて、農村や山岳部とはできるだけ良好な関係を築いて、反乱されないようにすることです。
今、ターリバーンへの抵抗を続けているのは、カブールから100キロほどのパンジシール州です。タジク人の集住地域で、ここにアムルッラー・サーリヒ副大統領など、タジク人の政治家や軍人が集結しています。故マスード国防相の息子、アフマド・マスードもその中心にいます。
パンジシール州のタジク人の結束は固く、この地域の中では、頑強な抵抗を示すでしょう。ただし、地域の外に勢力を広げることは難しいです。
ターリバーンの指導部は交渉で解決したかったようですが、若手は軍事制圧を望み、結局、戦闘になっています。パンジシールでの抵抗が続けば、他の地域でも反乱が起きるでしょう。アフガニスタンの諸地域は、基本的には、中央政府の支配を逃れられそうな気配があれば、すぐに反乱を起こします。1996年にタリバンがカブールを制圧した時は、すぐさまナジブラ元大統領を処刑し、女性の就労禁止、女学校の閉鎖、ブルカ着用の強制など苛烈な支配を強制した。今回、タリバンは過激なふるまいを慎み、懐柔政策で臨んでいる。しかし地方の元軍閥は25年前のタリバンの所業を覚えている。一筋縄ではいかないだろう。
塩崎先生のいわれるようにこういうグループ間の抗争がアフガニスタンの国家建設の邪魔になっていたという部分、中国はよく研究しているようで、さすがだなと思いました。
中国の援助にタリバン期待!でも中国は意外と冷めているかも…
https://uk9.hatenablog.jp/entry/2021/08/22/150442