「フジロック」で記者は見た 東京ナンバーの車が大挙、“酒ナシ”でも“密”に踊る若者たち
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【内容の要約】
・取材のために行きたいと思ったこともないけど行きました(棒読み)
・否定的な見方をできるところを片っ端から拾ってきてリストアップしました(棒読み)
・意識低い人たちのコメント集めてきました(棒読み)
・演奏者のメッセージは特に興味ありません(棒読み)
・演奏者そのものにも興味ありません(棒読み)
・音楽やロックの歴史と未来に興味も関心もありません(棒読み)
・さぁ!無知と不理解を全開にして、分断を煽ろうぜ!(そこだけある意味ロックだな…)
世界は少しずつウィズコロナの道を模索している中で、音楽業界はスポーツ業界ほど世論の追い風がなくて控えめに控えめにその歩みを進めています。
デルタ株の変異で、それ以前の対策では緩いのではないか?ということがわかりつつある現状の中で、古い知識に基づいた対策だけで開催されたことには批判もあって然るべきとは思いますが、そういう類の記事ではありませんでした。
内容の薄い雑な記事でしたが、コメント欄に刻まれた様々な想いを読むにつれて、それらが読めただけでもこの記事の存在意義はあったのかなとは思いました。
余談:良い記事というのは過去の歴史や経緯などの知識と理解を深めてくれて、未来に向けての希望と可能性を提示して、人々の中に共感と協力の気持ちを芽生えさせたり育てたりしてくれる記事なのではないかと思ったので、ここに言語化して残しておきます。
注目のコメント
ミュージシャンとフジロックは、音楽と音楽を愛する人(好きな人、それでご飯を食べている人)を守っている。切り取りでは分からないさまざまな人生の文脈が交錯してここに立っている。
医者が患者を守るように、教師が子どもを守るように、親が子を守るように。
私も最初はもやもやした気持ちで観ていましたが、アーティストの悲痛な演奏やMCでの苦しみを見ているうちに考えが変わりました。彼らは今のこの世界の矛盾と苦しさの中でステージに立っています。
分断ではなく思いやりと助け合いが必要です。こんなスポーツ新聞の愛のない記事でその世界をわかった気になることなく、それぞれの人が守っているものを尊重しながら、それ以外の人を傷つけないでいく道をみんなで探る先にしかこの今に出口はありません。今オペラの稽古をしているが、合唱団と一緒のお稽古はいくらマスクとフェイスガードしていても正直言って怖い。コンサートも聞きに行くけれど、座席にじっと座って前を向いているだけだから良いのであって…座席がなく、じっと座ってもいないのは怖い。
ちなみに私がプロデュースしているコンサートやオペラは、12月まで全て座席は半分以下しか売らないことにしている。フィフティ、フィフティかなと思います。
開催に踏み切った一歩はとても意義がありますし、Liveにいく方にしか得られない時と雰囲気と空気感があり、ミュージシャンの方々も、フジロックのレッドマーキーのステージに立つ事がひとつの目標でもあるのと、今後の創作活動にも幅や世界観が出来るので、そんな様々な思いが今ひとつになっていると思います。
個人的にはYouTubeで連日、楽しんで鑑賞していますし、LIVEの合間、合間に放映されている参加ミュージシャンの方々のインタビューから垣間見える、それぞれの想いや、感想が、なんか作家さん並み、いや、それ以上にいい言葉を選んでて、またいつか奥行きのある空間で、音楽を愉しみたくなります。
本日もYouTubeで放映されていますので、ビールやワイン片手にお時間許す方は是非ご覧になられてはいかがでしょうか。