授業料は取得単位数で決定!?私大に大変革の可能性
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学ぶのは学生だが授業料を払うのは親というパターンが実態としては多いのではないかと思います。
そのような構図の中で取得単位で金額が決まってしまうと、払う側の混乱を招いてしまうのではないでしょうか?
注目のコメント
昔ソウル大学の大学院研究生だったとき、授業料は履修科目数で決まっていました。博士論文の資料集めが目的だったので、最小限の科目だけ登録をしました。ですので履修科目→授業料という理屈は理解できます。
一方で私は今学期履修者500人、その都度の受講者平均約700人の講義をしていました。比較的需要があった方なのだと思いますが、だからこそ逆に、学問の評価がそのときどきの「人気」のようなもので左右されることに強い違和感を覚えます。
学生が数人しかいなくても、貴重な研究・授業というのはあり、それはこの100年ほどで評価されはしないかも知れないけど、200年後にはなんらかのスポットが当たるものなのかも知れません。研究者はそういう大きな裾野を作る仕事をしており、頂点や人気だけが判断基準になるのは、人類の知の蓄積に対する冒涜だと思います。
私立と異なり、国立大学が学部間での授業料の違いを容認しないのは、そうした学問の多様性を重視するからです。私は文系の人間ですが、理系の授業料だけが値上げになるのは絶対に反対です。そうした目先にとらわれない運営を私立ではなく、国立大学がやれというのであれば、毎年運営費交付金を減らして競争的資金に回すといった愚策をやめ、若い研究者が落ち着いて研究を続けられる環境を作ってほしいと思います。結果としてそれは、私立大学にもよい人材を供給することになるはずです。さすがに取得単位が増えると授業料が高くなるのはやってはダメでしょう。そんな事をしたら益々必要最小限の単位しか取らなくなるでしょう。自分の専門とは関係ないけど面白そうだから受けてみよう、という事がなくなるでしょう。
大学卒業資格が欲しいのであって
内容なんどうでもいいと思っている
保護者や学生それを受けて拝金主義に走る大学も全て今までがおかしい。
学問を極めてたい、理解出来る優秀な人と交流したい、数千万の高額機材を研究に使いたい
大学ってそうでしょ。