広島市長、核兵器禁止条約の批准求める 広島平和記念式典
コメント
注目のコメント
朝から式典の様子、特に市長の平和宣言に目と耳を傾けていました。私自身、今年の長崎市の平和宣言の起草委員会のメンバーになり、市長の宣言の言葉を共に考える場に出させてもらいました。日々、平和活動に携わる方々がそれぞれの立場での想いをぶつけ、一言一句にこだわって宣言文が作られています。広島は広島なりの、長崎は長崎なりの言葉で、76年経った今でも、その当事者としてその記憶を語り継ぐことを大切にしています。
伝わる言葉は、心の底から本音で語る言葉なのだと思います。ぜひ多くの方に一瞬立ち止まって聞いてほしいです。核兵器禁止条約の基本的な理念には核兵器の非人道性の問題がある。その非人道性を証明するのが広島であり長崎の経験。その非人道性が世界にどれだけ伝わるか、国家の戦略的利害とどう折り合いをつけるかが勝負所。
原爆慰霊碑に書かれた「過ちは繰り返しませぬから」の主語が誰なのかで、今の日本人が分断されている気がする。
悲惨な戦争の記憶が残っていた時代は「無謀な戦争を起こした軍事国家日本」と考える人が多かった。今はそのような考えを自虐史観と否定し、「多くの民間人を殺した米国」と言う人も増えています。
一億総玉砕などと言って300万もの国民を死なせた日本、陸海軍の覇権争いの中で非人道的な無差別爆撃と原爆投下に至った米国、両国ともに過ちの責任があると考えるのが普通でしょう。
更に言えば、二度もの世界大戦を引き起こした人類そのものです。
それから、広島、長崎で亡くなった人のおかげで今の我々が生きているということも忘れてはいけません。
日本の降伏が更に遅れていれば、米軍は駿河湾と九十九里浜から上陸して東京は完全に壊滅していました。そうなっていれば多分私も生まれなかった。
それどころか、ソ連が南下してきて朝鮮半島のような分断国家になっていた可能性すらあります。
私自身は、核兵器禁止条約の批准が一筋縄ではいかない事情は理解しますが、その中でも日本だからこそできることは何なのかを考えるのが亡くなった方々への責任だと思います。