突出した才能ありながら対人関係などで困難、「ギフテッド」の子供たちを支援へ…文科省
読売新聞
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この問題はギフテッドの子どもたちが抱えている困難が、突出した才能が故に周囲から理解されないことにあります。
学校教育現場に「ふきこぼれ」問題があるのと同じように、子どもの発達には個人差があるにも関わらず、教育内容を年齢で画一的に統一していることの弊害です。
そして、突出した才能が社会にとっても好ましい(むしろ羨ましい)才能なので、支援の必要性まで至っていませんでした。
年齢の割り当てで学びや行動を制限するのは、大人の都合に過ぎません。子どもの興味関心や発達に応じて必要な支援をすることは、本来、当然のことです。
ギフテッドと形容するレベルに至らなくても興味関心や発達に応じて、多様な機会を選択できるようにすることが大切です。
注目のコメント
支援するか否かを才能があるか否かで判断すること自体がおかしいでしょ。それこそ悪しきメリトクラシー。
okumuraさんのご指摘を受けましたが、何の理解が間違っているのかわかりませんでした。
私は支援をすべきではないと言っているのではなく、本来生きづらさを感じる人すべてに手を差し伸べるべきで、支援の理由が「突出した才能をもつ子供」であることに違和感を感じているというものです。才能があるから支援するのではなく、
困っているから支援する。
彼らの困りごとは
自分の能力を伸ばすチャンスがないこと
秀でた能力に比べ社会適応がとても難しいこと
だからただ才能を伸ばすだけでなく、
彼らが先々生きていくスキルをつけてあげることも必要
(そこを社会全体でサポートするか否かについては議論の余地ありで)
いずれにせよ、彼ら彼女らに寄り添うこと