「成長する人」は嫌な気持ちを “道具” として活かす。「成長できない人」はそれを “攻撃” に使う
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モヤモヤした気持ちは書き出し文字におこす、言葉に出してみると自分で自分に問いかけ、見える化することができます。
何にモヤモヤしているんだろう、何がすっきりしないんだろうと気持ちがよくわからない時は、あえてどういう状態にあればいいのだと書き出してみると、そこに到達していないギャップにもがいているのかと理解できるようになりますね。
自分のことなのに、どこか他人のようで、そうか自分ってこんなことに悩んでいたのかと、冷静に客観的に分析できることも。
自分の個性と強みをしっかり認識している人は意外と少なく、人からフィードバックをもらって、これまで気がつかなかったけどここが人とは違う強みなんだと知ることができると、その特徴を活かして行動できるようになります。他との違いを認識できる人は強いですよね。
少し羨ましいな、自分がこうなりたいなと思える気持ちは成長したい気持ちがあるからであって、それがないと現状維持から変わりませんし、常に成長し続けるには、いいなと思える人が周りにいるのは良いことではないかなと思います。
注目のコメント
記事の中身は「妬み」をどう扱うかをわかりやすく書いてありますが、タイトルのにある「嫌な気持ちを攻撃に使う」というのは相手をトラウマにさせたり、思考停止に陥らせたりするから本当に関わりたくないです。
話し合いで意見を出したり、疑問に思ったことを聞いただけでも、それを言われたことに血が上って攻撃する人って成長できない残念な人と考えます。
自分だけが正しいとか偉いとか思っちゃってるんでしょうかね。文字通り、他人に自分の言うことを聞かせたい、操作したい服従させたいと思ってるんでしょうかね。感情を仕分ける癖をつけるわけですね。
他者って自分より認識しやすい分意識がそちらに向かってしまうけれど、比較せず、昨日の自分より成長していければ十年後はほぼ別人になれそうな。
男子三日会わざれば刮目して見よ
この言葉を体験したい、させたいですね。