「みんなと同じ」は生きやすい? 実は孤独を深めてしまう意外な習慣
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「みんなと同じ」は、実は比べられてしまうものも多くて足りないものやことを多く見いだせてしまって、大変なところはあると思う。「みんなと同じ」と言いつつもそのバラエティの幅は大きいので。
自分は、「みんなと同じ」から離れた生き方してるけど、それでも、楽ではないのよね。どんな生き方しても楽なことはないけど、比較対象増えるほうが比較論で世の中捉える考え方の人は辛いんじゃないかな。
注目のコメント
自分であることを考えなくなる。
自分の考えより周囲の人たちに合わせてしまう。みんなと同じであることで安心してしまう。
でも、本当の自分からは離れていく。偽りの自己ではなく、真の自己を求めるのなら、常に自分の意見や考えを意識することが必要ですね。『みんなと同じ』が良くないのでなく、考えずに周りに合わせるコトが良くないのかと。
自分でしっかりと考えたら、みんなと同じになるコトもあれば違くなるコトもあります。
「『みんなと同じ』は良くない」という考え方自体が『みんなと同じ』な気がします。そうのように歴史が作られた。特に日本は。
教育がそうさせたと言っても過言ではないし、政治や社会がそうさせたと言っても過言でもない。
なぜなら、そうじゃない国や人種があるのだから。逆にそういう集団もある。一概に個というのは、個人の個ではなく集団という個にも当てはまる。
同調は楽でもあるし楽でもない部分がある。しかし、日本の場合は総じて同調を善としたりすることが与える側にも受け取る側にも存在するから、まずはここから壊していくことが必要。一番わかりやすいのは、学校教育。ほほ自由が制限されている。ルールを守って適切に使おう、やろうではなく、ルールでそのものを禁止することが多いから考えることをしなくなる。
別な人もコメントしていますが、考えることをしなくなる。ここが問題。