ユダヤ人権団体、小林賢太郎さんを非難 五輪開会式のショー担当
コメント
選択しているユーザー
海外では絶対にどんな理由であれタブーと言われることがあると思いますが、日本人の大きくはそういうコンテキストの中で生きていないが故に「悪気はなく」やってしまったり言ってしまうことがあるのかと思います。今回のホロコーストについては、海外の一般的な視点からは例えどういう文脈であれ笑いに捉えることは絶対にタブーだと誰もが知っていることです。
私たち日本人も今回のオリンピック開催を機に色々な発言や行動を、国際的スタンダードや倫理観で見られる中で、私たちのナイーブな感覚に気付かされているのかと思います。
確かに古い映像まで遡ってというのはあるものの、国際的な舞台に関わる人としては、過去の自分の行動含めてその仕事を引き受けるのにふさわしいのかと考えて引き受けるべきだったのかと思います。(選ぶ方が全ての映像までチェックするのは確かに本当に難しいと思います)
注目のコメント
個人的にラーメンズのファンですが、当該の動画はNHKの教育テレビでやっていた『できるかな』のパロディコントですね。「放送できるわけのないもの」という否定的な文脈で出てきていたはずです。
他にもラーメンズのコントにはbrotherや日本語教室シリーズなどLGBTや海外の人が見ると差別と受け取られかねないものが幾つか存在します。もちろん、日本人について風刺したものもあるのですが。ちなみに、それらの中にはNHKの爆笑オンエアバトルで放送されたものも多くあります。
揚げ足取りかどうかは受け手によると思いますが、90年代くらいまで遡ってポリコレを適用しようとすると大物的な人で問題なく起用できる人ってかなり少なくなるのではと。表舞台に出るということは、こういうことなんだろう、な。
過去のことであったとしても、連続性のものとして、その人総体として評価される。
人は変わるものだけれど、過去の出来事は変えることできない。
そしてその出来事に対する解釈の仕方は、人によってそれぞれであり、また文化によっても様々。
主催者はそのイベントの理念・時代の倫理観を踏めた上で、イベントを開催する必要があり、
出演者は、それを踏まえた上で、一度自省する必要がある、と。
時代はどんどんつながり、そして可視化され、「めんどくさい」時代となっていますが、
不可逆的なもので、それを受け入れるとともに、
こうした国際的な大きいイベントを開催するには、また出演するには相応の覚悟と胆力を持つこと、かな。コントとして「子ども番組なのに提案してくる企画がヤバイ奴ら」
を笑うネタの一部に「ホロコーストごっこ」があり「放送できるか!と怒られた」わけで、
ラーメンズとしても「こいつらはアウト」というコントの文脈だと思うんですけどね。
別にラーメンズがホロコーストを肯定してるわけでも讃美しているわけでもないと思うんだが。