小山田圭吾さん 五輪開会式の楽曲担当辞任 過去に同級生いじめ
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政府のリスクマネジメントってこのレベルなのか。
選任段階からなってない。大体楽曲作らせてるのに。
なんか60年ぶりのオリンピックなのに、もっと日本の文化をどう伝えるかというメッセージを真剣に考えている人はいないのかね。
中止すべきって言われるのも仕方がない。
あなた方にはもう任せておけない。
過去のいじめはもちろん良くないことだ。
ただ現在も見るべきだ。
それを総合的に勘案して、
それでもなお選任したのなら、
その理由を開示すべきだ。
それは、あんな抽象的なものではなく、
極めて具体的な、過去を払拭できる理由だ。
そうなると実際は、そこまでしなければならないなら選任しないとなるのが普通だろう。それだけ過去は重いのだ。
ただ彼だって楽曲の準備に命を削ったはずだ。
それをこんなお粗末で反故にしてしまった。
生み出された音楽に罪はない。
判断も間違っているし、手順すら間違っている。
リスクマネジメント初歩のミス。
それは政治家失格だろう。
呪われているんじゃなくてただの準備不足。
注目のコメント
謝罪するなら辞任する、辞任しないなら謝罪しない。当初からそのどちらかしかありませんでした。リスクマネジメントの象徴的な事例だったと思います。
「いじめ」と呼ぶには内容が悪質すぎます。また、一連の告白記事は、これまでに何度も掘り返され、小さな炎上を繰り返していて、本人にとっても引っかかっていたはずです。それにもかかわらず楽曲担当を引き受けたことは不適切でした。
他方で、公的な事案にかかわることのリスクも思い知らされます。この五輪では、競技場やエンブレムからはじまって、これまで何人が「断罪」されてきたでしょうか。ザハ・ハディッドとはいったいどんな建築家だったのか。多く日本人はいまでも知らないままでしょう。その事実にどうしても暗い気持ちになります。芸能界に疎い私でさえも何度も目にしたことのある悪名高い話。本人の名前で検索するだけで容易に関連記事が見つかるはずなのに、なぜ任命されたのかが不思議でならない。
本人が真摯に反省し、生涯をかけて償っていくことももちろんだけど、昔読んだ件の記事全文の印象では、彼1人が凶悪というよりは、通っていた私立校の生徒たちが共有する空気として、障害者はいくらでも虐めて構わないといった認識があったように見えた。(だから本人も悪びれもせず笑い話としてメディアに語っちゃったんだろうなぁと)
当時それで気になってその学校のことを調べたら、ダイバーシティ教育を名目に障害児を積極的に受け入れる方針で、常時一定数の障害児がいたという記述もあり、完全に教育思想が裏目に出てるなと思ったのを覚えている。
ダイバーシティ教育とは、単に多様性を掻き集めるだけじゃなくて、インクルージョンとセットで伝えないと、百害あって一利無しですね。
※何年も前から相当騒がれて現在は改善してると信じたいので、その学校の名前を書くのは差し控えます組織委員会の判断かと思ったら小山田氏からの辞任。モヤモヤがひとつ解消されたのは良かったけど、いっぱい複雑な感情を抱えて迎える自国のオリンピック、素直に悲しいなあ。