【新】10年後はAIが代替。データ偏重マーケティングの危うさ
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人間という生物がアナログの塊なのに、その行動や心情をデジタルの最大公約数だけで深堀ろうとして、結果的に成功しないマーケティングの端っこをちびちびイジっているだけのような手法をとってしまっている。
突飛な新企画をチャレンジする必然性はないけれど、人の心理を考えないデータ解決法はいつまでだっても人の心に刺さらず、行動を変えない。
これまでずっと考えてきたことなので、この記事には大いに共感します。
ともに働く人の仕事っぷりを見ていると、こういったUX型のマーケティングが出来る人かそうでないかはよくわかります。データ絶対主義者の行き着く先は、決して関係者がハッピーになれる未来ではなく、いつか壁にブチ当たり疲弊するだけの未来にしか思えないので。
ユーザーにどう思わせ、どう行動させたいか。そこまで考えた上でさらにプラスオンするくらいの、ホスピタリティあるサービスを提供したいです。
注目のコメント
長年マーケターの身として、まさしく!と共感しかありません。もちろん分析も重要ですが、ある程度の分析=ロジックは、AIが代行できても、ココロであるマジックの分野は、AIは決して代行できない人としての神秘なエリアです。
「相手の心に丁寧に向き合う」ことは、マーケティングに限らず組織作りにもいえるなと痛感します。どんな仕事であれ職種であれ、1番大切な要素。どんなにロジックで説得しようとしても、最終的に人は心で動く。自分から見えている相手の姿は、ほんの氷山の一角に過ぎないからこそ、深層心理の心に丁寧に向き合えた瞬間マジックが生まれ、相手の心も動く。お互いにとって至福の瞬間です。ああ、だからマーケティングはやめられません。「過去のデータを扱う算数も必要だけれど、未来の人の心を考える国語も重要」と言っていらしたのは確かリクルートにいたくらたまなぶ氏。算数ばやりですが、国語の本質が過小評価されすぎているなと改めて感じました。
今週のザ・プロフェットでは、エステーの「消臭力」や「米唐番」など数々のヒットCMを世に送り出してきた、マーケターの鹿毛康司さんにお話を伺います。
コロナ禍でDXが進み、ビッグデータの活用が盛んに叫ばれるマーケティングの世界ですが、データはあくまでも過去に起こったことの軌跡に過ぎない、と鹿毛さんは言います。
東日本大震災、そしてコロナ禍という「先の読めない転換期」に、鹿毛さんがデータだけに頼ることなく徹してきたマーケティングの本質とは何か。
データマーケティングが隆盛している今こそ忘れないようにしたい考え方について、じっくり語っていただきました。