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子供と食塩水の問題といてたら、マリメッコ図の素敵さがわかった。親も学ぶよねー
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小学校のうちなんて、そもそも勉強の癖をつけるなんてこと自体不要な気はしますけどね。。。勉強という既に制御された情報を扱うことも将来的には重要だけど、制御された情報を扱う技術は大人になっても身に着けられる。小さいうちに大切なのは、現代の技術ではまだまだ扱いきれない圧倒的な複合的情報量とチャンネル数を持つ多様な世界を、全身のレセプターで体感して、制御や対応のトレーニングをしておくこと。

公園や野山、道路で遊ぶでもいいしスポーツでもいい、工作もすばらしいし仕事の手伝いでもいい。簡単な設問や数字、デジタルデバイスのモダリティに落とし込みようのない多様性を、扱いきれない現実を、ルールや正解の外側を、無意識のチャンネル全域を刺激する体験を、日常で繰り返すことが、特に小学生までのうちは大事。

上記に一つ加えるとすれば、とにかく本を読む習慣をつけさせること。文字を読んでその意図する意味的構造を再構成したり物語を描出したり感情移入までする活動というのは、動画や音を見る・聞くだけ、限られたアクションのゲームだけをするよりもはるかに高度な、まさに人にしかできない圧倒的な知的トレーニング。文字からのメタ構造の抽出ほど高度で手軽な作業は他になかなかない。

プログラミングもいいけれど、多様な手段と経路で考える、複数の読解と構築の手段を持つ、飽きずに集中できる基礎力を構築することのほうが、小学校での多少のスタートダッシュなんかよりはるかに重要。

小学校で比較できるスコアなんて、大人になってからの伸び代に比べれば誤差のようなもの。学生時代に家庭教師や塾講師をしてた経験からも、周囲のいろんな人を見ていても共通して思うのは、親が子供にかわって心配してしまう、焦ってしまう家庭ほど子供は伸びないということ。本当は塾なんて不要。特に日本の受験なんて、個人学習で全く対応可能。

問題はいかに親のほうが腹を据えられるか、子供を信頼できるか、小さいうちに将来ぐっと伸びる基礎を強く広く作ることに時間と機会をかけられるか。今の塾は基本的にその不安に付け込む、需要のないところに需要を作るビジネス。もちろん本当に求める人、それが合う人使える人に機会を提供すること自体は大事なことだとは思うけれど。

ちなみに僕の周囲の数学や物理、コンピューターが尋常じゃなくできる人、ほぼ例外なく文章もむちゃくちゃうまいです。
家庭で親が子どもと一緒になって勉強できるか。それに尽きる。
以前小学校低学年の子をもつ保護者の方から、今から大学受験で成功させるためにはどうすればいいかと聞かれて驚いたことを思い出しました。他の皆さまのコメントを見る限りNP界隈ではすでに子どもは自由に伸び伸びさせた方が結果よくなる、学歴というよりは何をしているかが大事というような感覚のコンセンサスが取れているような気もしますが、それはまだまだ世間のごく一部の感覚であるということですね。
中学受験は「親の受験」と言われます。
問題は、高学年になって子どもがやりたくないとなった時に、
「あなた(子ども)がやりたいと言ったんでしょう?」となること。

そんな訳はなく、基本的に親が誘導しているんです。
その自覚だけは持って欲しいなと思います。
「何でできないの!」と思っていても、今のところまだギリギリ口にしていないのですが、分からない問題をそのままにするという意識の低さに何度もイライラ。。子どもは子どもで「何で毎日勉強しないといけないんだろう」と思っていると思いますが、それを見守る親は親で、また別の修行を受けている感覚です。
見るに見かねて子どもの学習習熟度を単元ごとに可視化したばかりだったので、この記事を読んで反省しました。「監視しすぎず、管理しすぎず、程よい距離感」をしっかり意識していきたいと思います。
私の知る最高に頭のいい友人は、
お互いが就職したあと、
「高校は50分授業を一年間受け続けると1単位になって、74単位で卒業なんだ」
と説明をしたら、

「じゃあ、本当は1日5時間授業で良かったんだね」
と返してきました。

やっていることは、
「週5日5時間で年間25単位になり、3年間続けると75単位」というただの掛け算なのですが、そもそも常人は、それを計算してみようとは瞬時には思わないと思います。

空気を吸うように「問題」を見つけ出し、それを解こうとする思考が身についている彼は、内部進学だったので大学受験は潜り抜けていません。

また、天才的な数学者のラマヌジャンを生み出したのは、「解答」しかない公式集だったそうです。
正式な数学の教育を受けていなかったラマヌジャンは、教師からもらった公式集で取り憑かれたように数式に没頭し、自らの手で公式集にあった数式を導出し、理解し、無限の試行錯誤の時間を過ごしたといいます。

与えられた問題をひたすら解くことを研鑽することに意味がないとは思いませんが、
子ども時代は、世界を新鮮な目で見て、失敗を恐れずに飛び込んでいける貴重な時期です。

かき氷に抹茶シロップとメロンのシロップを両方かけたり、重曹とレモンをかけてシュワシュワさせたりしながら
「まずいー」と呻いていた娘を見て、

好奇心の芽だけは摘まないようにしよう、といつも思います。
親の価値観の押し付けではなく、子どもの価値観を尊重したい。私は大人になってから学ぶことの楽しさを知りました。子どものうちから、その気持ちが芽生えるよう、親として導いてあげられればという気持ちです
ダイエットと同じで、1日5分が難しいんだよなあ。

うちは塾行く気ないし、勉強嫌いだけどな。。。
自由に学ばせることがとても大切です。また、勉強の仕方を知っていることも大切。入塾しているかどうかに関わらず、自分の勉強スタイルを自分で確立できている子は、急激に成長します。これが学校でもできるんですよね、一斉授業をやめれば。