今日のオリジナル番組


詳細を確認
どこでも栽培可能!?「農業イノベーション」
本日配信
263Picks
Pick に失敗しました

人気 Picker
あの時代に田中角栄がやっていた事はどのメディアも掴んでいた。第一、共産党はその事について相当具体的に訴えていた。だが、どこも報じなかった。田中角栄もどのメディアも報じれない事について自信満々だった。それを立花隆氏が、いわば命を賭けて斬り込んだのである。よくやれた、よく文春がOKしたな、と思った。当時の文春の編集長に田中側からの反論を載せないのか聞いた。反論を書けと申し入れてるのだが、田中側にはその気がないようだ、と答えた。
"知の巨人"、逝く。ご自身の著作はもちろんだが、「僕はこんな本を読んできた」に記録されていた本もかなり読ませてもらいました。幅広い事に知的好奇心を持つ事の大事さ、楽しさを教えてもらいました。

一度だけ、パネルディスカッションでご一緒させてもらいましたが、鎧袖一触、けちょんけちょんにやり込められたのも、とてもよい思い出です(笑)


謹んでご冥福をお祈り致します。
立花さんが書いていたことに、「ジャーナリストとは、短期間に半可通になる能力がある人のこと」ということがあった。

これは、立花さんの仕事スタイルをそのままいい表していた。『田中角栄研究』『中核vs革マル』『農協』『宇宙からの帰還』『精神と物質』等々、とにかくテーマを次から次へと変えてしかも専門家を超える独自の視点を持ち得ていた。これはインサイダーでないアウトサイダーゆえに、インサイダーの専門家には持ち得ない視点、他の分野との関係性という点からその問題を掘り下げられたからだ。

実は、これがノンフィクションを書く人にとってもっとも重要な資質だと私も考えている。

新聞記者がなかなか難しいのは、専門といって、結局は科学部なら科学者の、政治部なら政治家の、経済部なら官僚の、思考をなぞり、かれらの情報をとることに血道をあげ、対象を相対的に見る力をなくしているからだ。その情報がもっと大きな文脈でどういう意味があるのかがわからない、あるいは表現できない。

これは新聞記者出身のライターも同じ。どうしてもその時代の思考方法に規定される。

立花さんがそのキャリアのスタートが3年間の週刊誌記者だったというのは象徴的、週刊誌は3日で半可通になって毎回テーマをかえていく。

その後文藝春秋をやめて東大の哲学科に入り直した。これもたいへん重要な経歴で、深く物事を考える、その習性はそうしたことからついていったのだろう。

大きな目標でした。ご冥福をお祈り申し上げます。
1987年に利根川進博士が抗体産生の diversity に関して日本人初のノーベル生理学・医学賞を受賞された時に、インタビュー依頼にワンサとおしかける記者さんたちに業を煮やして、もう研究ができないから、これからは一人だけに絞ってくれと言われた時に白羽の矢が当たったのが立花隆氏でした。博士のインタビュー前に博士が書かれた論文全てを読んでいかれたと知って凄いと思っていたら、なんと、その後もいろいろな研究者にインタビューされておられますが、全員、その出版論文は全部読んでインタビューをされておられたという。

ちなみに利根川博士のインタビューはもはや古典に。
文春文庫『分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか 精神と物質』立花隆 利根川進 | 文庫 - 文藝春秋BOOKS (bunshun.jp)

ある評論家が、昨今の医学生には脳死について真面目に教科書で勉強しないで、立花進著の脳死三部作で済ませてしまうものもいる…と書いてあって、俺のことだ…と妙に納得してしまった日々が懐かしいです。

合掌
「知の巨人」と呼ばれていましたね。90年代くらいまでのものは、出版されるたびに「立花隆なら買わなきゃ」とやってましたね。一番の特徴は、調べ上げた読書量と調査努力と、何よりも「それなのに庶民でも理解できる平たい言葉で、面白い点を明確にして書ける力」だったと思います。それは池上彰さんあたりにも引き継がれていると感じます。
「田中角栄研究」の衝撃と名声のおかげで、その後のマスコミが「退陣有理」とでも呼ぶべき、些事を拡大しては「首相を引き摺り下ろす」ことに躍起になる文化が醸成された面があると感じています。
勉強になることも多かった方ですが、芯の哲学を感じず、傾倒まではいかなかったですね。個人的に一番影響を受けたのは、空海などについての研究で、大物には20代に何をしていたんだろうという「空白の数年間がある」という文章で、自分のモラトリアムを正当化していました笑。
田中角栄研究、臨死体験、脳死… ジャーナリズムを目指す人には入門書でもありました。なかなかテレビに出演されなかった立花さんでしたが、筑紫哲也さんがキャスターだった時のニュース23には、政治とカネが問われる節目で生出演していただきました。政治家がゲストで同席した時は、眼光鋭く追い詰める姿がとても印象に残っています。
ご存命の頃、とても不謹慎ながら、この方の驚異的な知の蓄積が、肉体的な消滅とともに滅びてしまうというのはあまりに不条理だと思ったことを思い出す。R.I.P.
立花隆氏の「田中角栄研究 その金脈と人脈」のインパクトは凄まじかったです。子供のころ、「ペンは剣よりも強し」という言葉を実感できました。
当時のジャーナリストはしっかりと調べて、問題点を追及するという、プライドがあったと思います。
この記事をきっかでで政治の世界は大きく変わりました。時代を変えた一人だと思います。
ご冥福をお祈り申し上げます。
記者になったら「必須」の読み物として、お世話になりました。
さあ,今日も本を読もう.こんな不完全な状態ではまだまだ死ねない.