「インターネット=社会」若者の間で広がる「セカイ系」の世界観
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「世界っ ていうのは、携帯の電波の届く場所なんだって、漠然とそう思ってた」
2000年代セカイ系の代表作、新海誠の「ほしのこえ」の冒頭です。まさに、その通りの記事ですね。
セカイ系といえば、セカイを背景としてしまって「きみとぼく」の関係性がセカイの命運と直結している状況を描く作風として2000年代に流行り、
「最終兵器彼女」「イリヤの空UFOの夏」「ほしのこえ」が漫画、ラノベ、アニメ界の代表作ですが、
おそらく、共通の祖先はエヴァなのだと思います。
象徴的なのは「世界を選ぶか、彼女を選ぶか」という選択。
ただ、思うのは、情報社会となったいま、かつてとは比べ物にならないくらい、世界と人の距離は縮まっているのではないかと思います。
スマホを通じて世界にアクセスできるし、世界に影響を及ぼせる。反対に、スマホの中の世界が自分の生活を浸食してきてもいる。世界はそれほど単純化できないのはそうですが、炎上というものがありえなかった以前より、世界の空気を感じながら生きているのが今の世の中なのだと思います。
ちなみに私は「イリヤの空UFOの夏」の作者、秋山瑞人の文章表現を学ぶことをライフワークにしているので、UFOの日の直前に「イリヤの空UFOの夏」の名前を出せて嬉しいです。
6月24日は、全世界的にUFOの日です。ネット社会の有象無象の声や言葉の対象が自分だと感じ、反応、反抗してみるというのは、若者だけの話しなのでしょうか?
タイパの記事の内容は、コンテンツ消費にもハズレを許せない若者の増加を嘆くという論旨だったと思います。この内容も若者だけに当てはまることかと言われると、テクノロジーという手段が発達して選択肢が増えた今、多くの年齢層が恩恵?を受けていることですから、筋がいいとは思えませんでした。
つまり、本来は広い層がターゲットの記事だったのに、わざわざ若者をターゲットにした記事だからこそ、若者の意見が多かったのではないか、ということです。
何が言いたいかというと、これらの記事に対しては、リアルやネット社会の身近なつながりを大切にして、近所付き合いしているところに、わざわざ「なんか違うよね〜」と、急に知らない人が割り込んできたと感じられてもおかしくはないということです。
誰だってコスパ的な意味を見出そうとするし、自己関与度の高い行動がしたいはずですから、若者だけに限った話ではないと思っています。ちなみに、私はもうおじさんですが、この記事に反応してしまっています。若干、世代論の印象を持つ論陣です。
批判される事に慣れていないのは昔からある話で、そのため理不尽な命令に慣れている 体育会系の学生が企業に重宝されるわけです。
批判に対する拒否の声、が目立つのはやはりSNSによるもので、昨今可視化されただけかと。
大沢誉志幸『そして僕は途方に暮れる』の歌詞にもあります。
一つ残らず君を
悲しませないものを
君の世界のすべてにすればいい
そして僕は途方に暮れる