2021/7/7

川崎フロンターレ「スポーツクラブの価値づくり」に挑む

スポーツ界がコロナ禍で突きつけられたのは「スポーツの価値とは何か」という、根本的な問いだった。
特にプロクラブにおいては、試合の減少やスタジアムに人を呼べないことで収益は激減した。見せることができなければ、プロスポーツの価値はないのは当然としても、見せ方に大きな制限が加えられたときに、いったいどんな見せ方があるのかというのは、スポーツに突きつけられた根源的な問いかけだった。
指摘され続けているのが「地域にスポーツクラブ」または「スポーツ」がある価値だ。
なんとなくその大事さを感じていたものの、はっきりとした形で意識されたことはあまりない。だが、その価値がはっきりと輪郭を見せ始めた。
J1屈指の強豪クラブ・川崎フロンターレが示した「かわさきフロンタウン構想」がそれである。
「このまちにフロンターレがあってよかった」と、市民が思えるようになることを最終目的とするフロンタウン構想とは、いったいどういうものであるのか。
(C)KAWASAKI FRONTALE

地域密着クラブの難しさ

地域密着はJリーグの根幹をなす理念である。
1993年のリーグ創設時から、Jリーグは地域に根ざしたクラブ作りを謳いあげてきた。
「地域に根ざす」とは、人々の日常生活の営みや社会活動が、クラブと不可分に結びついているということである。だが、Jリーグに所属するプロクラブが57まで増え、ほとんどすべての都道府県にJクラブが存在するに至った今日においても、地域に密着したホームタウン活動を全面的に展開できているクラブは極めて少ない。
理由は明白だ。
Jリーグが推進するシャレン!(社会連携活動。社会課題や共通のテーマに地域や自治体、企業、Jクラブなどが連携して取り組む活動で、3社以上の協働者と共通の価値を作ることを想定)もそうだが、集客やクラブの直接的な利益には結びつきにくいこともあり、クラブをあげて集中的に取り組むまでにはなかなか至らない。
日常的な業務に追われてそれだけの余裕がクラブにはないというのが現状なのである。
ただ、そうした中にも、地域に根ざすことを経営の根幹として活動しているクラブも数は少ないが存在する。そうすることによってしか生き残る道はないと危機意識を抱き続けているクラブで、そのうちのひとつが鹿島アントラーズであり川崎フロンターレである。
J史上最多タイトル獲得クラブと2連覇を目指し首位を独走中のクラブ。誰もが認めるふたつのトップクラブが、同じ考えのもとに中・長期戦略を展開しようとしているのは興味深い。

作り上げた「フロンターレなら大丈夫」

鹿嶋市を中心に鉾田、行方、潮来、神栖の5市をホームタウンとし、つくば市や土浦市、千葉県成田市や銚子市など12市町村をフレンドリータウンに加えたアントラーズは、広い地域にまたがるサッカー社会・文化圏の確立を目ざしている。
その方向性は、地方のクラブにとってひとつのモデルになり得るものだが、語るのは別の機会に譲りたい。
ここで取り上げるのは川崎フロンターレである。
アントラーズが地方の小都市のクラブがいかに地域に根ざしながら、世界と戦うために基盤(サッカー以外の安定した収入の確保)を確立するかを目ざしているのに対し、フロンターレが目的としているのは川崎という大都市のなかでクラブがいかに人々にとって必要な存在になるかである。
そこから生まれたのが《かわさきフロンタウン構想》であった。
フロンターレは2010年から19年まで、Jリーグ観戦者調査で10年連続地域貢献度第1位のクラブに選ばれている。
日本サッカーリーグ2部の富士通を母体に1996年に設立されたフロンターレは、1999年J2リーグ優勝によりJ1昇格を果したものの、わずか1年でJ2に降格し、次に昇格するまで4年を待たねばならなかった。
降格を機にクラブは、いかに足場を固めて着実に成長していくかを熟考し、到達した結論が地域密着。
当時の社長であった武田信平は、株主になることを地元企業に依頼するにあたり、たとえクラブが利益をあげることになっても配当は出さず、その分を地域のために還元すると言って頭を下げた。
同時に地域や自治体と対話を続けながら、2009年には等々力スタジアム外に、試合のチケットを持っていなくても楽しめるイベント広場「川崎フロンパーク」を開設してホームゲームの付加価値を高める。
フロンパークではイベント終了後の清掃を徹底し、使用前よりもきれいな状態で返すことを心がけ、またそれ以前の2006年には、川崎市宮前区の鷺沼プール跡地に6面のフットサルコートとスタジオ付きクラブハウスを有する「フロンタウンさぎぬま」をオープンさせた。
フロンタウンさぎぬまは単なるフットサル場ではなく、昼間は地域の大人たちがクラブ主催の健康教室──ヨガ教室やポールウォーキング教室などに集い、レッスンの後にお茶を飲みながら談笑する。
午後は学校帰りの子供たちがサッカーやフットサルに興じ、試合の後で同様に雑談に興じ、家に帰る前に宿題を終わらせる。関係性が希薄になりがちな地域コミュニティの拠点になっていったのだった。
ほかにもみやまえご近助ピクニック(地域住民の交流の場を作り、それにより地震などの災害に見舞われた際にお互いに助け合える環境を作ることを目的とする)やイッツコムで配信されたみやまえご近助体操、その発展継承番組であるかわさきご近助ロコ体操……。
宮前区以外でも同様に拠点を置いて活動を展開した。
もちろんプロクラブも営利企業である以上、利益をあげる必要はあるが採算第一ではない。スタジアムの観客増やチケット売り上げが目的ではなく、フロンターレに触れる人々の人数を増やす。
そうした地域貢献の姿勢は行政と地域の信頼を勝ち得た。
「フロンターレだったら大丈夫」と。

コロナ禍の課題に迅速に向き合う

企業が地域貢献を目指したイベントを企画しても、行政の許可を得るのは簡単ではない。だが、フロンターレを介することでその壁も容易にクリアできる。
クラブが20数年の活動で築いてきた《地域とのつながり》を財産ととらえ、行政や地域、企業の課題を受け止めて、町内会や商店街、病院、NPO、警察、交通、メディア、公共機関などクラブがつながりを持つ各所を巻き込んで、連携しながら最適の活動を生み出していく。そこには企業が主体だと起こりがちな、営利が絡む金銭問題は発生しない。
そうした前提があっての《かわさきフロンタウン構想》である。
クラブはまちや市民の日常と一体であり、地域と連携することで「365日のまちクラブ」となっていく。築きあげた信頼関係とネットワークがまちとのつながりを事業化することを可能にしたのだった。
フロンターレにとっては潜在的な支持者の増加が見込め、地域や行政はフロンターレの求心力を生かして魅力あるまちづくりを推進できる。そしてタウンコミュニケーションパートナーとして参画する企業も、製品販売以上の信頼関係を地域の人々から得られる。
作り上げてきた関係が、このコロナ禍で本当の意味での「クラブと地域の密着」を実現させようとしている。
今年4月、フロンターレはサントリーウエルネスとのタウンコミュニケーションパートナー契約を締結した。
中高年向けに健康食品や化粧品を通信販売するサントリーウエルネスは、単純な健康(ヘルス)の先にあるウエルネス──心身ともに健康で充実した状態で人々が暮らせる社会の実現を企業理念としてる。ところがコロナ禍が、高齢者の生活環境を一変させた。
健康であるのに外出ができない。家族にも会えない。人と喋る機会がなくなった。そうした状況では、認知症を患う人々の症状も進行が加速化しかねない。

高齢者にハードルが高いオンライン

事実、サントリーウエルネスには高齢者の声が続々と寄せられた。若い世代には比較的容易に導入できるオンラインでの繋がりも、そもそもスマートフォンやパソコンなどを持っていない高齢者にはハードルが高い。
「遠くから製品を届けるだけでなく、高齢者に寄り添って何かをしなければならない」
その危機意識が、サントリーウエルネスとフロンターレを結びつけた。特筆すべきはそこにサッカーの要素がまったく入っていないことである。
推進する「まちごとWellnessプロジェクト」は、『川崎フロンターレ監修「みやまえご近助体操」』や「ロコ体操教室@さぎぬま」などの脚力強化を中心とした体操教室からなっている。
特に高齢者向け体操番組『川崎フロンターレ監修「みやまえご近助体操」』は、PCなどオンラインデバイスに馴染みのない高齢者のために、東急沿線のケーブルテレビ放送を行うイッツコムと組み、地デジで見られるテレビ番組として昨年に放送を開始。
2年前に宮前区(町内会および区役所)とフロンターレが共催した「みやまえご近助ピクニック」がコロナ禍で開催できなくなり、その予算とパワーをフロンターレの提案でテレビ番組という形に変えて継続させた。
(C)KAWASAKI FRONTALE
イッツコムは有料ケーブルテレビ局だが、行政とフロンターレからの相談に対し、無料視聴可能な放送枠を毎日用意した。行政の予算は昨年末で終了したが、その最終回では出演した川崎市長が自ら、サントリーウエルネス協賛によるリニューアル番組「かわさきご近助ロコ体操」を告知。
現在も行政は後援という立場で関わっている。
プロジェクトの中心を担う川崎フロンターレのサッカー事業部タウンコミュニケーション部の岩永修幸氏は「『まちごとWellnessプロジェクト』はさらなる企画を検討、進めている」としつつ、「それだけではなく、スポーツ・健康の枠だけにとどまらない、まちとのつながりを活用した多分野のプロジェクトを行うため、行政、企業、団体さんなどとも話し合いを続けている」と語った。
「このまちにフロンターレがあってよかった」
フロンタウン構想の目的であったその理念がもたらすものは、シャレン!を超えたパースペクティブなスポーツクラブの形であった。