ひろゆきが語る「勉強が嫌いになる瞬間・ベスト1」
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「正しいこと」=「役に立つこと」とは限らないですね。
漢字の書き順はその典型例。
自分の子供に「正しいこと」より「役に立つこと」を教えるよう、改めて認識しました。
注目のコメント
説明不足による納得感欠如の問題かと。
確かに、正しさを振りかざす評価だけならば、子ども側に納得感が芽生えず不満がたまります。逆に、役に立つからOKでは、正しさを求める層に不満がでます。
だから、なぜ正しい(と言われる)ことを評価するかを、説明し合意を図り評価軸を明確にすることが重要です。その上で、役に立つ使い方も批判せずに受け入れ、正しさと役に立つの二軸で物事を見て判断する視点を身につけられば、それに越したことはないと思います。確かに、どうでもいいことで正否をつけられるのは気持ち良くないですね。
しかし、そのどうでもいいレベルのことに気をつけることが出来て正解を叩き出せる人は、それが成功体験になって勉強が好きになることもあるので、一概に悪いかどうかは難しい。
『基本』をどう捉えるか、ですよね。
目的を達せられれば基本なんかどうでもいい(伝われば漢字の書き順なんかどうでもいい)と思うかどうか。
他人には分からないところで、そういう基本を知っていて守ることが出来ている自分が誇らしい、と感じている人もいるでしょうし。
私の生業である内部統制評価でも、カタチだけの評価なら誰でも出来ます。
昨年度の評価結果を参考にすれば、余裕でしょう。
しかし、評価が出来れば良いと考えるのか、それとも評価のクオリティを向上させていくことを目指すのか、向上することを目指すならカタチだけの評価スキルだけじゃなく基本を知っていていないとクオリティの向上は出来ない。
そうなると、今度はクオリティを向上させる意味があるのか?というところに行き着くんですよね。
それをメンバーに納得させられるかどうかがリーダーシップなんですよね。
つまりは目的意識によっては、基本を知っておいた方が良いし、そんなのなくても良いじゃん、という時もある。
義務教育をどんな風に位置付けるか、ですね。基本を学ぶ時期と捉えるのか、違う位置付けなのか。最近書道を習い始めた息子(小1)
と言ってもまだ3回しか行ってないですが。
で、初回の時にひらがなのお手本を見ながら息子が書いたんですが、
書き順を間違えていて、当方「違うよ〜」って指摘したら、
書道の先生は「いいよ〜好きに書いてごらん」って仰っていたのが意外で。
書道って書き順は絶対じゃないですか。書き順無茶苦茶ってあり得ない。
でも、先生曰く、
「最初は間違っていてもいいし、筆の持ち方も自由でいい。その後どうしたらキレイな形や筆運びになるかと教えていけばいい話だから」と。
確かに。
最初から嫌になっちゃったら元も子もない。
結果、2回目からは書き順も正しくなってるし、
本人も書くの楽しい様ですし、
コレでいいんだな、と。