三越伊勢丹、新宿・日本橋店の再開発に着手
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百貨店という概念を超えた、そして「単なる売り場」という概念を超えた新たな人の動きの創出に期待します。
人々が楽しく集いそして未来への期待を持って物やサービスや体験への支出をする。消費は活力!元気の源。
日本のトップである伊勢丹浦和新宿店の作り出す世界はやっぱり日本一ワクワクする場所であって欲しいと期待しています。
周辺との協業で新たな可能性が出てくるのでしょうか?
そこにも期待です。百貨店という存在を起点に考えるのではなく、思い切りカスタマー起点で、新宿三丁目に求められること、日本橋に求められることをやりきってほしい。
それは形としての建物や店といった物理的なものだけでなく、百貨店の接客のあり方や営業時間、そして館内に流れる音楽に至るまで、何から何までゼロペースで考えてみるべきものだと思う。
結果として今の百貨店に近いものになれば、それはそれで良いし、そうならなければ新しい世界が見えてくるわけで。
少なくとも、現状起点で考えても、明るい未来は無いと思うのです。これまでの百貨店モデルが終わっていることは誰でもが分かっていた。
しかし、今回のコロナで新たな発見ができたのは、エッセンシャルな生活だけでは人間は生きられないということ。
飲み屋で仲間と一杯やること、スナックでママとカラオケで歌うことはオンラインでは満足できないことがわかったはずだ。
では買い物ではどうか。
私は今こそ、生活文化の伝道師としての百貨店に期待したい。
文化、芸術はこのコロナでひどく痛手を受けている。元々、支援がなければ文化や芸術は生き残れないものだ。しかし、これまでバッハ、モーツワルトの時代から、パトロンが文化、芸術を支えてきたのだ。
百貨店も江戸時代から昭和の初めまでこういうパトロンとしての役割を担ってきた。だからこそ、人気も価値もあったのだ。
だが、今や専門店、ネット通販に押されてテナント化してしまった百貨店にはその文化を支える力がなくなってしまった。しかし、これまでの人と人の繋がりはまだ残っている会社もあるのではないか。
ないのなら、今こそそういう無形資産とのつながりを持ち、そこと共に復活を目指す方向を目指すべきではないだろうか?
そういう意味では、百貨店企業単独ではこの復活は難しい。新興企業とともにビジネスモデルを再構築しながら、新たな文化、芸術の伝道師として、日本文化、芸術、音楽を若手も含めて支援するプラットフォームとして百貨店の器を考えることはできないだろうか。
私が入社した頃の百貨店の取締役には文化や芸術の匂いがした。まあ、その時は「遊んでばっかりで、ええなあ」と思ったものだ。人間も会社にもゆとりがないとダメだなとつくづく感じる。