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なんだこれ、僕が8年前に書いたことのコピーじゃないか!と憤慨して開いたら、僕が8年前に書いた記事でした笑

まあ、ここに書いた主張は変わってないけど、なんというか、文章が若いな笑 そんなことを思うなんて僕もオッサンになっちゃったのかな

でもベクトルの射影を用いた価値観の説明は、我ながらけっこう的を得ているし普遍性があると思っているので、それだけでも参考にしていただけたら

ちなみに本記事を含むこのシリーズを書籍化したものが
https://www.amazon.co.jp/-/en/dp/4492223428/ref=cm_sw_r_cp_awdb_imm_7KHQYFKXRHX2QR28BA48
です。
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理系学部に進学したのちに物書き業をやっていると、「やっぱり国語得意だったんですか?」とよく聞かれるんですが、別に国語の成績が良かったわけではないんですよね。ただ、大学入試の二次試験に国語があったから、やらざるを得なかった。社会に出て、人より書けることに気づいたのですが、これは仕方なしにみっちり国語をやっていたからなんでしょうね。ちなみに今は空いた時間はずーっと小説を読んでいます。これは単なる趣味ですが、やはり文章力に何らかの影響はあるのかもしれません。
ええと,おっさんになっても「日本語力が低い」としばしば叱責されています.この記事にある通り,英語でも日本語でも文章を書くことの難しさを痛感しています.

一方で,筋道だった文章を書くことはかなり特殊なスキル化しすぎているとも思っています.前職についたときに驚いたことの一つは,上場企業や役所に勤めるような社会人でもきちんとした文章を書ける人が意外と少ないことでした.国語力の底上げは理系文系を問わず,日本社会の重要課題です.

どちらが鶏か卵なのかはよくわからないですが,非言語コミュニケーションがかなり重視されるのは,この国語力とも大きく関係がありそうですね.
特定のテーマについて調べて議論したり、議論したことをもとに筋道を立てて書いたり、伝えたりする国語教育は大学・大学院だけではなく、それ以前の教育段階でも必要だと感じます。
幸いにも小学校には年間約200〜280時間の国語の時間があります。その時間を中心として記事に出てくるような国語教育を行なっていくことは、現場の工夫次第で実現可能です。子ども達の未来のためにも、やってみる価値は大いにあります。
日本の大学は、アドミッションポリシーの名の下に減り行く受験生の奪い合いが起きているわけであって、なかなか欲しい入学生を獲得できていないのではないでしょうか?

理系受験生に国語を課すのは大賛成です。学力が高くても、全く理解できない日本語を書く人がいるわけですし、会話にならない人もいます。

入試で国語を課したからといって、これらが解決するわけではありませんが、きっかけにはなると思います。
日本の技術士試験は「記述士」と揶揄されることもありますが、米国の評価尺度からするとありなのかな?
(私は技術士資格保有。理系ですが、得意科目は英国でした。数学・物理は昔から苦手)