尾身氏見解は「自主研究の発表」田村大臣、非公式の認識
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政府はこれまでも、専門家が難色を示してきた諸々の措置の緩和、解除も「専門家の意見を踏まえて」判断してきたというニュアンスで常に発信してきた。政治家が自分で責任を持って判断すれば良いことを、専門家に押し付けているような構図すらあった。
だが、五輪は(一定の制限を設けても)全世界から国内に万、十万単位の人が出入りするイベントだ。ウイルスが輸入されたり、逆に輸出するリスクが高い状況でも、それを「専門家」のお墨付きがあるからやって大丈夫だと喧伝されて、責任だけ押し付けられては困る、という意図だろう。
尾身氏はこれまで、政治家の微妙なニュアンスも尊重しつつ自分の意見をひとつでも通すというスタンスと見受けていた。そういう意味では極めて「政治的な立ち振る舞い」が上手い人、という印象だったが(旧分科会から外れた西浦氏らとはその点が異なっていた)、五輪はさすがにそれでは不足だと腹を決めたのだろう。ある種の矜持だと思う。専門家のトップの提起を「自主研究」と表現するのは、適切ではありません。ただ、政府は「五輪中止の権限は政府にはない」という姿勢なので、「ご意見は傾聴しますが、最後は政府として判断します」という当たり前のことも言えないのでしょう。そのためにこんな変な表現になったと思料します。尾身茂会長にはGOTOの失敗のトラウマもあると思います。「感染拡大のエビデンスはない」という部分だけを切り取られ、専門家が支持していると政府の宣伝に使われました。五輪の影響はGOTOとは比べものになりません。昨日「プロフェッショナル」と自らを表現した尾身茂会長は自らの矜持において意見を表明するの思います。
New England Journal of Medicineという、文字通りの臨床医学系トップジャーナルに、科学的根拠に基づいた感染対策がなされていない(IOCのplanとbest practiceがtableになっています)とまで言われてしまっている状況で大臣が選択した言葉とは思えないですね...
(感染拡大という意味での)結果がどうなるかは別として、やるからには責任をもって十分な感染対策をしていただきたいと思いますし、難しければやらないという選択も当然あります。
https://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMp2108567