天安門32年、追悼の動き阻止 中国、党創建100年で厳戒
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中国共産党にとって、1989年6月4日に起こった、いわゆる六四天安門事件は存在してはならない事件です。
中国共産党が人民解放軍を使った国民の殺戮(米国のブリンケン国務長官の言葉を借りれば「大虐殺」)が批判されていますが、中国共産党に反抗する分子を実力で抑え込むことに対して、中国共産党は罪悪感を持っていないでしょう。
中国共産党が、「国民の殺戮」以上に国民に知られたくないのは、学生たちが「民主化」を求めて大規模な抗議活動を行なったことです。中国共産党は「絶対的に正しい」のですから、政治体制の転換を求める大規模な抗議などあってはならないのです。
天安門事件の際、北京に所在する人民解放軍の部隊が武力による鎮圧を行わなかったため、中国共産党は河北省から人民解放軍の部隊を連れてきて武力弾圧を行なっています。この河北省から連れて来られた部隊は、無差別に発砲したという証言もあります。
学生側も人民解放軍の武器を奪うなどして武装し、人民解放軍の兵士を殺していたという話もありますが、その武器はわずかで、人民解放軍が戦車まで投入したことを考えれば、対抗できるようなものではありませんでした。
私が北京で勤務した200年代前半、居住していた外交公寓(外交官専用共同住宅)の外壁には天安門事件当時の弾痕が複数残っていました。それら弾痕の位置などから、狙って撃ったのではなく、銃を乱射したようにも見受けられました。
天安門広場に敷き詰められている石は、天安門事件の後、すぐに貼り替えられました。血に染まった石を全て貼り替え、天安門事件自体がなかったことにしたのだと、当時を知る方から聞いたことがあります。
現在では、外交公寓も全てリニューアルされています。中国は、天安門事件の存在自体を中国国内の記憶から消し去ろうとしています。今後は、香港でも、天安門事件を口にすることすら難しくなっていくでしょう。
注目のコメント
来月に創立100年という「記念すべき」節目を迎える以上、 中国共産党の最高指導部にあっては、それに傷を与えかねないようなことは、細大漏らさず徹底して抑え込み、全て排除して行くに決まっている。 まして 首都北京の中心部で 連日繰り広げられ、党の権威に公然と挑む形になった、1989年4月半ばから6月初頭の、あの天安門民主化運動への追悼に至っては言わずもがなであり、 今日6月4日は勿論のこと、これから先 一、ニカ月は中国全土で当局による厳戒態勢が敷かれ続けるだろう。
天安門民主化運動の悲惨な結末から、今日で32年。 その間、中国は経済面・科学技術面では目を見張る躍進を遂げたが、政治面・社会面では自由化・民主化は遅々として進まず、 習 近平氏が最高指導者になって以降は、むしろ様々な管理・統制が強まるばかりとなって来た。 32年前、中国の未来を信じて民主化運動に身を捧げ、無念の死を遂げた幾多の若者や市民の霊が浮かばれる日は、果たしてやって来るのだろうか。 また来るとしたら、それはどれくらい先のことになるのだろうか。残念ながら、中国国内では教えられた「真実」しかありません。
この歴史の事実は、ネットで見ることも語ることもできなく、静かに沈んでいく(消されていく)のでしょう。。