遺族「火山と共存できる街づくりを」…普賢岳・火砕流30年、鎮魂の祈り : 社会 : ニュース
読売新聞
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1991年6月3日の雲仙・普賢岳の大火砕流から30年、本当に悲しい出来事でした。私は、噴火直後に雲仙市に出張することになり、羽田空港から長崎空港経由でバスにて向かったのですが、私自身はもちろんですが数名乗り合わせた方々も、火山灰だらけの街の様子をみて、やや血の気が引いたことと無口になったことを記憶しています。
宿泊したホテルでは、「いつでも避難できる準備をしてください」という指示を頂戴したことと、普賢岳の火砕流の様子を常時モニタリングする画面を見せていただいた記憶があります。
私は1977年に北海道に家族旅行した際、バスツアーの休憩中に有珠山が噴火した経験もありますが、自然災害はどこまで被害が及ぶか事前に想像し難いこともあり、本当に参ってしまいます。
自然の力の前には、やはり謙虚にならざるを得ない思いです。