「“あんたたちが日本酒売りたいだけでしょ”という意見もいただいた」 獺祭が“批判覚悟”の意見広告、飲食店の窮状訴え
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売りたいですよ、それが生業でそこに生かされて来ましたから。言葉にすれば「売る」って単純な言葉ですが、そこに至る使命感や想い、使って来た時間や情熱は「命」そのものです。
それを違うポジションの方に理解してしてくれとは思いませんが、自分に置き換えて考える事は出来ないのでしょうか?
コロナの話題は語る人間のポジションとその人間性が意識するしないに関わらず如実に出ると思うのですが、総じて思うのは想像力、受容力、共感力が足りない人が攻撃的、排他的になりがちだとゆう事。
ご家族や自分に基礎疾患があったりコロナを恐れる方々の気持ちも痛い程解ります、命がかかってるって言い分も。
ただ同じように飲食店や酒業に関わる人間に取って安易な酒類提供禁止はイデオロギーと命に関わる死活問題なのです。
自分のポジションと違うモノは理解出来ない、じゃなくて、その妥協点を互いに探りましょうよ。
注目のコメント
「売りたいだけでしょ?」って批判する人間に言いたいんだけど、当たり前です。それが生業なのだから。その批判って、闘病している人に対して「生きたいだけでしょ?」っていうくらいクソな言葉だと認識した方がいい。
あと、基本的にコロナ脳の人に理解なんかされる必要はないのですよ。この世に万人に理解される純粋な正義なんて存在しません。この世の中は、それぞれの正義が入り混じった不純な均衡の中で成り立っている。それでいいのです。獺祭は、山口県の旭酒造さんですよね。
長州藩の伝統としても、日本全体のことを考えてるんじゃないですかね。
こーゆー意見に批判はつきもの。批判ばかりで行動はあまりしない日本の中で、気にしてたら、キリがないし、行動もできない。成果も出せない。なので、気にしなくてよし!自分の心に従うのみ!日本酒を売りたいだけなら日本酒の広告をするでしょう。そうではなく、同じお金をかけて飲食店のことを主に書く、しかも世間的に非難される可能性もあることを書く意見広告を出すのは勇気のいる決断だと思います。
先日、政治をセンセーショナルに「批判」した宝島の広告もありました。そういうクリエイティブな攻め方で目立つ方向もある中で、淡々とシンプルなデザインの中に言葉を尽くして意見を述べるコピーを書かれた広告であるところにも抑制された表現を感じます。
これは直接商品を売るためではない広告ですよ。それは広告枠ですし、確かに旭酒造は料飲店頼みなところがあるでしょうから、広告には違いない。でももっと売ろうとだけ思ったらこんな広告は作りません。家庭消費を促進するために、例えばチャネル対策としてスーパーやコンビニにおいてもらえるように商品そのものを広告する。そんなことになりますよ…他のスーパーにおいてあるビール会社などのCMなどを見ればわかりますよね。
妙に「狙った」ものでないから、掲載開始から随分経った今になっても話題になる。A2全面を使っても、言いたいことのほんの一部しか表現できないだろうとは思いますが、このような冷静な声の挙げ方は、営利企業の社会市民としての在り方として素敵だと思います。