2021/6/1

【業界激震】ターゲティングの大転換。これは、マーケターの危機か、チャンスか

NewsPicks Brand Design / Chief Editor
 EUのGDPRをはじめとするプライバシー保護の流れのなかで、デジタル広告のリターゲティングやトラッキングが変化を迫られている。iOSアプリやwebブラウザで個人を特定する識別子の利用が制限され、「無料」が当たり前だったデジタルメディアやコンテンツのあり方も見直されている。

 現在グローバルで議論されている「データの民主化」は、ビジネスサイドをどう変えるか。消費者は、どんな信頼関係やベネフィットによって個人データの活用を許容できるのか。デジタルマーケティングの前線に立つ当事者たちに聞く。
INDEX
  • デジタル広告は、なぜ嫌われたのか
  • 「Cookie」が規制されると、何が起こる?
  • 今が、ビジネス・組織変革のチャンスだ

デジタル広告は、なぜ嫌われたのか

── EUのGDPR(一般データ保護規則)が顕著でしたが、グローバルでも日本を見ても、この数年間で個人情報の取り扱いが厳しくなっている。デジタル広告や事業者は変化を迫られています。
杉浦 そうですね。私はポジティブに捉えていますが、デジタルがビジネスのコアになっていくうえで、乗り越えないといけない大きな壁だと思います。
 古くはwebサイトをつくるところから始まり、広告やCRM(Customer Relationship Management)、データ分析まで、オンラインのマーケティングは常に変化し、市場は成長し続けてきました。それがコロナ禍によって、ますます企業のビジネスに欠かせなくなっています。
 いま大きな関心が寄せられているプライバシー保護への対応も含めて、マーケターにはより本質的な課題解決が求められ、私がこれまでかかわってきたなかでも、もっともダイナミックな転換点に立ち会っていると感じます。
竹ノ内 本当に、数年ごとにゲームチェンジが起こるんですよね。僕が社会に出た2008年ごろには純広告から運用型のディスプレイ広告へのゲームチェンジがありましたし、並行してスマートフォン市場が立ち上がり、広告業界全体が試行錯誤しながら情報の届け方を考えてきました。
 今日お話しするプライバシーの問題も、広告に大きな変動をもたらすことは間違いない。いま起こっていることを解釈し、お客様である広告主に事業成果を返せる立て付けを再設計することが、我々のようなエージェンシーの仕事です。
 個人データの取り扱いも、うまく線引きできれば、利用者にとってベネフィットがあります。僕が利用者として初めてリターゲティング広告に触れたのは、2008年ごろ。ちょうど賃貸を探していた時期に、少し前に別のサイトで見ていた物件のバナー広告が出てきた。「なんだこれ? なんでこの前見た物件が出てくるの?」と驚いて。
 結果的に僕はその不動産サイトを見に行って、自分がまだ探していなかった情報に触れました。これは、僕の情報をプロダクトサイドが持っていたからこそできた体験です。
田中 ある意味、忘却を防いでくれる機能でもありますよね。たとえば、外出中にスマホでおもしろそうな本を見つけたけど、購入に至らず忘れてしまった。そんなとき、自宅に帰ってパソコンを開いてさっきの本が広告として出てきたら、素直に「ありがとう」って思いますから。
 ただし、興味があるものをリマインドすれば喜んでもらえるけれど、まったく興味がない広告を出し続けられたり、コンテンツを読むのに邪魔な位置に表示されたりするとネガティブな印象が強まってしまう。そうした負の体験が増えてしまったから、リターゲティングがすべて悪だと言われるようになってしまったんじゃないでしょうか。
 そう考えると、いま起こっているサードパーティCookieの取り扱いやデジタル広告に対する消費者の不信感は、個別の企業だけでは解決できません。今後は、プラットフォーマーと広告代理店、広告主を含めた業界全体でよくしていかないと、データ活用のベネフィットを利用者に伝えることもできないでしょう。
坂下 そうですね。私も長くインターネット広告に携わっていますが、クライアントの業種や扱う商材、システム環境によっても変化の認識や対応状況が違います。消費者も含めて様々なステークホルダーがいて、これからのデータ運用に決まった答えがあるわけでもない。
 まずはそれぞれの立場から見える景色を共有し、メリットとデメリット、リスクとオポチュニティをクリアにしていくことから、議論の輪を広げていきたいと考えています。ダイナミックな外部環境の変化は、我々にとってチャレンジのしどころであり、前進するチャンスですから。

「Cookie」が規制されると、何が起こる?

── 率直に聞きますが、Cookieの利用に利用者の事前許諾が必要になったら、皆さんのマーケティングや広告運用はやりにくくなりますか?
田中 まず広告主の立場から話すと、短期的にはやりにくいです。これまで得られていた情報が大幅に減るわけですから、マーケティングコストが増加することは覚悟しています。
 でも、グローバルの潮流として一斉にルールが変わるということは、ある意味公平なゲームですよね。利用者の合意があればデータを提供してもらえるわけなので。
 中長期的に見れば、誠実に取り組んで利用者と信頼関係を築けたブランドは、リターンも高まっていくと思います。
杉浦 私も同感ですね。コストが高まるといっても単に手間が増えるということではなく、より本質的なお客様との関係構築に向き合うことになるからです。
 これからは、利用者からデータ取得の同意をもらうためのコミュニケーションも含めて、顧客体験を考えることが重要になるでしょう。そうすると、本当に価値のある情報や機能、企業によってはモノやサービスに立脚しないと持続可能な利用者との関係が築けません。
 広告接触という意味においても、ブランドセーフティなどを重視して、意図した相手に、正しく広告が届いているかを検証するアドベリフィケーションのような取り組みも増えている。このことも、顧客体験を重視するトレンドの一環と考えています。
 プロダクトやブランドが誰にどんな便益を提供し、広告として何をどう伝えるのか。消費者とのコミュニケーションを考え抜いて、ファンを増やしていく。そんなふうに、いい意味でマーケティングの原点に回帰していく流れがますます強まっていくでしょう。
竹ノ内 デジタル広告はまだ歴史が浅いので、様々なプレーヤーがいろいろな方法を試すなかで、利用者価値を軽視してしまったケースもある。それに、広告代理店も広告主である事業者も、データを持つサードパーティに依存してしまっていた面があると思います。
 ところが、サードパーティCookieが使えなくなると、事業者が自分たちのプロダクトのファーストパーティCookieに向き合うことになる。
 つまり、自分たちの顧客と向き合って、どんなふうにプロダクトやサービスを届けようかとこれまで以上に工夫し始めるんです。これが各所で起こると、取得したデータの使い方も明確になり、広告の質やプレゼンスを高めていけると思います。
田中 杉浦さんの意見に賛成です。広告もコンテンツも結局は顧客とのコミュニケーションじゃないですか。たとえば、ある人と出会って名刺交換した翌日に、いきなりその企業の別の方からウェビナーの案内メールが届くと「えっ?」ってなりますよね。
 でも、名刺交換のときに「こういうウェビナーがあるのでご案内しますね。よろしければどうぞ」と一言あるだけで、受け取り方がまったく変わる。このコミュニケーションを再考することが求められているんだと思います。
 アプリを開いて「これが当社のプライバシーポリシーです」と送りつけられても、そもそも受け手は「Cookieってなに?」「何が起こるの?」というところがわからない。その間を埋めるやりとりが必要なんですよね。
杉浦 一利用者として見ていると、すでにいろいろな工夫が始まっています。最近うまいなぁと感心したものでは、ABEMAがありました。
 最初にアプリを立ち上げるとキャラクターが出てきて、「広告によって皆さんに無料でコンテンツを届けることができるので、より適切な広告を出すために協力をお願いします」とお辞儀をしていました。
 目的も用途も明確ですし、利用者のほうを向いていることが伝わります。その先で、UXを妨げない節度を持ち、価値のある広告を提供できればエンゲージメントは高まっていく。
── 価値のある広告を提供してエンゲージメントを高めるには、サービスをまたいだトラッキングが必要ですか。
田中 ないよりもあったほうがいいとは思います。ただ、個人データがあればいいわけではなくて、それをどう読み解いて、何を利用者に提示するかが大事だと考えています。
 僕がやっている求人領域では、求職者の希望に合った情報を届けないと意味がない。外してしまうと興味も湧かず、コンバージョンも生まれません。それに、データによって精度を高めることはできるけれど、どれだけテクノロジーが進歩したところで100点にはなりません。
竹ノ内 自分が何を求めているかって、本人にもわかりませんからね。
田中 そうなんです。だから、正確性だけを追求してもうまくいかない。どちらかというと、関連性を重視した、ゆらぎのあるターゲティングを考えないといけないと思っています。
── 「ゆらぎ」というと?
田中 たとえば、ある人が志望する業種や職種があったとしても、「そのキャリアと経験を踏まえるとこんな職種もいいんじゃないですか」と、もうひとつの可能性を提案すること。
 これをやると短期的には正確性が弱まりますが、徐々にその人のことを学習して、より幅広い選択肢のなかから興味に合った情報を届けられるようになります。利用者にとっても、自身が認識していなかった適性が見つかるかもしれないし、そういったデータを統計的に扱うことで、我々のような事業者も関連性の精度を高めていける。
 こうした試行錯誤によって、利用者とプロダクト双方に価値のあるデジタルマーケティングにできると思っています。
坂下 まさにそうですね。明確な目的や買いたいものがあるなら、人はお店やECサイトを訪れます。でも、その動線だけでは潜在的・偶発的な発見が起こらない。
 それぞれが属するコミュニティや興味関心の関連性をビッグデータとして見ることで、消費者自身だけでなく、マーケターも気づかなかったようなマッチングが起こる。モノやサービスがこれだけ多様になり、情報収集のチャネルが増えたからこそ、整理分類された情報だけではなく、予期しない偶然を届けていくことが求められていると感じます。
竹ノ内 一方で、広告を出す側のことを考えると、やはり扱う商材が少ない事業者ほど偶発的な機会を提供しにくいのかもしれません。
 たとえば単品通販のD2Cがどうやって関連性を見出すための情報を得るのか。どうやって偶発的な出会いをつくれるのか。これを考えていかないといけないんでしょうね。

今が、ビジネス・組織変革のチャンスだ

杉浦 いまのお話を聞いて、プライバシー保護がこれだけ大きなアジェンダになっていることは、ビジネスサイドのリテラシーを高めるチャンスでもあると思いました。
 今日お話ししたマーケティングの話に加えてテクノロジーへの理解を深めないと、企業のマーケターの方々や、広告会社の担当者もついてこられなくなっています。
 これまではwebサイトにタグを貼っていれば効果検証もできたし、最適化も進んだ。一方で、これからはカスタマーデータプラットフォーム(CDP)をどう整えるか、FacebookであればコンバージョンAPIをどう活用するか、さらにはプラットフォームごとに分断されたデータをどう統合して解釈するか、など、複雑な課題を解決する必要があるわけです。
コンバージョンAPIについて|FACEBOOK for Business 
 これは一般の方にはなかなか理解しづらく、つい最近まで話も聞いてもらえなかった。いまはビジネスの死活問題として、企業の経営者やマネジメント層も聞く耳を持ってくれるようになっていると感じます。
田中 それに、これは企業が組織力を上げるチャンスでもあると思います。
 プライバシー保護の観点によってどうマーケティングコストが上がるのか、Facebook社も含めたプラットフォーマーがどんな対応を取るのか。こういったことはマーケターだけが知っておけばいい話ではなく、法務、財務からエンジニアまで、あらゆる企業の経営課題になっています。
 プロダクトサイドで取得するデータと使い方を定義し、許諾を取るコミュニケーションを考えること、自分たちの会社やプロダクトが社会に提供している価値がなんなのかを考えるよい機会だと思います。
竹ノ内 我々がいつも考えていることって、「こういう出方をしたら気持ち悪くない?」「これくらいの頻度で抑えないと、うっとうしいよね?」「この情報って取る意味があるんだっけ?」みたいなことですからね。
 もちろんディテールの部分には専門性が必要ですが、フレームを理解してもらうことで広告主や事業者とのコミュニケーションも格段に深まります。
田中 エンジャパンでもFacebookの「コンバージョンAPI」を実装しているんですが、その取り組みを通じてマーケターとプロダクトマネージャーの会話が増えています。
 システムの仕様にとどまらず、なぜ開発コストをかけてまで、いまやる必要があるのかとか、中長期で見たらどんなリターンがあるのかとか、エンジニアやプロダクトにとってのメリットはなんなのかとか。こうした会話が増えたことでチーム力が上がっている実感があります。
 この議論がそれぞれの事業組織のなかで始まると、ある意味、世の中を変える起爆剤になり得るんじゃないかと。逆にいうと、マーケターだけが閉じてしまって、チームメンバーや広告パートナーとの対話を怠ると、どこかでつまずいてしまう気がします。
竹ノ内 僕は、利用者の行動データを得るために苦心することさえ、長い時間軸で見ると無駄になってしまったように思えます。杉浦さんや田中さんがお話しされたようなリレーションシップももちろん重要ですが、この先は、どんな説明をされても個人データを渡したくない人たちに向けて、IDFAなどの識別子に頼らずリーチする方法も考えたほうがいいんじゃないか、と。
 僕はある野球ゲームアプリのヘビーユーザーでそのアプリが承諾してくれと言えば喜んでデータを提供するくらいのエンゲージメントを持っています。でも、そのアプリって利用者の個人データを取得する必要がまったくないんです。
 基本的に個人で遊ぶゲームなのでソーシャルなプロダクトではないけれど、僕はそのゲームアプリのSNSアカウントをフォローしています。ゲームというプロダクトとSNSはつながっておらず、彼らが知り得る僕の情報も「フォロー」という公開情報だけ。でも、これって考えようによっては強力なコミュニケーションチャネルですよね。
── なるほど。本当にプロダクトが好きなら、行動を追わなくても向こうからタッチポイントにアクセスしてくれる。
竹ノ内 もちろん、僕とその野球ゲームアプリのようなエンゲージメントを築くには、とても長い時間がかかります。でも、そういう様々なチャネルを使って関係を結ぶことが、中長期的に見るといちばん効果的で、利用者の体験を豊かにしていくんじゃないでしょうか。
田中 すごいですね。なにがすごいって、この話を竹ノ内さんから聞いたことで、スーファミ以来やっていなかった僕が、その野球ゲームアプリをダウンロードしてみようという気持ちになっている(笑)。いわゆる「口コミの力」ですが、このエンゲージメントの力を見落としてしまうと、どんなデータもうまく使えないと思いました。
杉浦 SNSには秘匿されている個人データ以外にも様々な情報が公開されていますからね。私としては、いまのプライバシー保護のトレンドにFacebook社がどう対応するかがとても気になります。
 ひとつのアプリの中にものすごいトランザクションとデータを抱えていて、大企業からロングテールのスモールビジネスまで様々な事業主のマーケティングインフラにもなっている。そんなFacebook社のビジネスがどのようにピボットするのか、あるいはしないのか。皆さん気になっていますよね。
坂下 ひとつ言えるのは、いまが新しいエコシステムを生み出す変革期だということ。オンラインビジネスの前提が大きく変わったことで、我々も新しい広告モデルやプロダクト、サービスの開発に、積極的に投資していくことは間違いありません。
 たとえば、先程コンバージョンAPIの話が出ましたが、まずはプライバシーに配慮したサーバー経由でのデータ連携の方法などを提案しています。
 クライアント企業のサーバーと直接的に連携するので、従来の方法よりプライバシーセーフで、かつビジネス側が送るデータの種類やタイミングをコントロールできるという特徴があります。実装には一定程度の専門技術が要るのでマーケターだけでなく、法務、IT、経営層など多くの方々に向けた啓発も重要になってきます。また、電通デジタルさんや、サイバーエージェントさんのようなパートナーの協力が鍵となります。
 それに、これだけデジタルが普及すると、一人の個人が消費者であるだけでなく、デジタルを活用するビジネスサイドでもあります。少額の投資でも多くの人に精度高くリーチできるデジタル広告は中小企業にとって重要なビジネスツールです。こういったスモールビジネスの支援も視野に入れ、オープンな議論をする土台ができてきました。
 一足飛びにはいかないし、短期的にどんなインパクトがあるのか読めないところも多いですが、皆様がおっしゃっていたように今回の変革をマーケティングの本質に向き合うチャンスとして先手を打って取り組まれた方が、他社より先に学びを貯めることができます。
 今日のようなディスカッションの輪が広がった先には、利用者とビジネスの双方にとって、よりよい形が実現すると信じていますので、弊社もテクノロジーの会社、イノベーションの会社として、各社とともに模索しながらよい成果を導き出していきたいと考えています。