科学技術予算は「不十分」、悪化の一途たどる研究環境をNISTEP定点調査で検証する
コメント
注目のコメント
二つほど、コメントしたいことがあります:
1. 研究費、とりわけ基礎研究に費やす予算を増やせというのはまさにそのとおりと思います。これについては、研究者のみなさんが表明されている意見以上に何もいうことはありません。
2. 一方で、お金さえ増やせばイノベーティブな研究が出てくるかというと、もちろんそんなこともありません。研究者は、舶来のブレイクスルーに漸次的な改善を施すだけの小刻みな論文を出すことで満足してはいないでしょうか?同僚の研究者の提案書を審査するとき、誰も試みたことのないアイデアを「非現実的」というような理由で潰してはいないでしょうか?論文の数で昇進が決まるシステムは本当に研究者にハイリスクでイノベーティブな研究をするインセンティブを与えているでしょうか?研究の原動力となる学生はちゃんと世界的に最先端の教育を授かっているでしょうか?
お金は必要条件ですが十分条件ではありません。予算を含む環境を整えるのは国の仕事でしょう。ですが大学や研究者も国のせいだけにせず、各々が何をできるかを考えるべきと思います。先日、ある大学院生と、科学の定義について話しました。
そこで出たのは、科学とは価値自由(価値がどうかは、完全無視)であり、人間の素直な知的探求ではないか、そして技術はある目的のために役立つ手段ということです。そうすると、 タラバガニのような科学の分野も多いことになります。
さて、研究費で思うことは、その役に立たないものは、無視すべきかという問になります。
「対数関数や行列をどこで使うか?」などを聞くこと自体が、科学ではないことです。
科学の研究費を増やすことは、素晴らしいことです。技術に関する研究費を増やせば,論文も増えることでしょう.しかし、技術に走りすぎ,役立つことのみを追い求めることは、少々問題です。
半導体工学には、量子力学の知識が大きく引用されました。科学とは、役立つかは、別だけど、50年後100年後に役立つ、かもしれないことです。科学に関する研究費とは、そこへの投資です。
その、科学の意味をもう少し認識してほしいと思います。研究者は、学長や機関長のために研究しているわけではない。しかし、国立研究開発法人ならまだしも、国立大学法人では、学長のリーダーシップや学内の予算配分を含むマネジメント能力が求められている割には、所属する研究者の大学法人への求心力は弱い。予算配分や学内業務での悪平等がはびこり、メリハリ付けができず、制度的建て付けに矛盾を来している。
そして、その矛盾を覆い隠すように、同床異夢で、科学技術予算の「総額」を増やせというところだけが一致する。
この矛盾を改めなければ、いくら科学技術予算の「総額」を増やしても、研究者の不満はなくならない。