「誓約書」ではなく「確認書」提出を 三重大が方針転換
朝日新聞デジタル
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「誓約書」は一方的にその意思を表明するもので、「確認書」は当事者(2者とは限らない)の合意を表明するものとすれば、大学側の「一緒に...」の発言と軌を一にしている。
そこまでは理解できる。
しかし、合意が存在しなければ、虚偽と文書の効力は無効になる。一方的におしつけると、合意の存在が否定されかねないと思うのだが。
大学側も合意に拘束される。
大学が何をしたいのかが今一つ不明で、こうした書面(誓約書であろうが、確認書であろうが)の効果は疑問だ。
大学が右往左往していることを示しているとしか思えない。
注目のコメント
誓約書も、確認書も同じです。
大学が学生を縛るのではなく、リテラシーのある学生の育成が先決。大人に確認されるのではなくて、人の言うことを何の疑いもせず無批判に受け入れるのではなくて、自分で情報を集め、自分の頭で解決する力が必要です。
大人が作った確認書にサインさせるだけでは、飲みはいけませんね、会食もいけませんねって、何も考えない思考停止な大人が量産されるだけです。