日本のコロナ状況「この程度のさざ波」「五輪中止とか笑笑」菅首相が任命、内閣官房参与の発言に批判
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経済学者の全てとは言わないが、正常に見える数字の裏側で働く人達へのリスペクトがなさ過ぎるな。
確かに、数字だけで見れば取るに足らないものかも知れないけど、この裏でどれだけの医療関係者を始めとする多くの見えないヒーロー達の努力があるのだろうか。
例えば、同じ40km/hで走るとして、車なら楽勝でもチャリだと相当キツイし、生足ならウサイン・ボルトですら10秒も続けられない。
同じ数字だとしても、それぞれに異なる力学が働いていることだけは忘れたくないものだね。
この状況下で、数値にアノマリーが発生した時には「これはヤバい兆候か!?」ではなくて「万事休す」ってことなのだろう。
だから、オリンピックに医療関係者が何百人も奪われるのであれば、反対したくなる人がいてもおかしな話ではないと思う。
注目のコメント
エビデンスをベースにした政策決定が求められている中、エビデンスのコミュニケーションも重要であると考えさせられる記事。ファクトを述べることと、コミュニケートすることは同じではないのだな、と。特に、今回のように、政治的な立場で発言するならば、もう少しストラテジーを練って、どのような目的でどのような発言をし、どのような効果を期待しているのかをもっと考えてもよいのでは?
人間を「数」や「データ」に置き換えると、そう見えるのでしょう。数多の経済学の欠陥がここにある。
人間を「数」と「データ」で捉え、その指標が、絶対的な効力を持つ恐ろしさを警鐘している人が、あまりに少ない。
生産性という言葉もそうだ。いつから、人間はロボットに成り下がったのだ、、、或いは、時給という考え方も、究極、人間を単なる道具としてみる発想だ。
考えてみると、産業革命以降の、工業型モデル、軍事組織型モデルが、我々の中に染み付いている。経済を中心にモノを考えると、人間を単なる「数」と「データ」にだけ見えてしまうのだろう。
さて、コロナ感染で毎日たくさんの人が亡くなっていて、その家族や関係者の悲しみは、「数」に表せますか。日々、奮闘されている医療現場の方々の苦労は「データ」に表せますか。
この人の発想から、私達自身にも、染み込んでしまっている近代からの脱却を真剣に考えないとな、考えてみた。つい先日までデータと科学的根拠を持って判断しろと政府に要求していた人間がデーターを出されると感情的な反論をする不思議な現象がおきてますね笑
日本政府がデータを持ち出して説明できない最大の理由は大多数の国民がデータもとにした不都合な真実を受け入られないからです。
日本は民主主義。政府の方針は我々国民の民意の写し鏡に他なりません。