日本のコロナ状況「この程度のさざ波」「五輪中止とか笑笑」菅首相が任命、内閣官房参与の発言に批判
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ネガティブな感情を打ち消すには、3倍のポジティブな感情がいると言いますが、メディアを中心にネガティブ要素ばかりを取り上げて悪い雰囲気を醸成している様に感じます。
そういった感情的に悪い状況で、ファクトに基づいて伝えようとする難しさを、発言者も気づくべきだという所でしょうか。
上から目線で何を言ってるんだ!という批判が出るのは当然で、市井を見たら想像できる事ではあるのてすが。
その一方で、メディアに対して思う所もあります。
自分たちの仕事で考えた場合、事実に感想をつけただけの報告は即座にやり直しです。
それが通用し、世に出回るというのはどうだろう。
フラットな目線で状況を比較・判断できて30点、そこから解決法を出せてようやく及第点だと思います。
目につく見出しだけ派手で、中身のないものを目にする機会が増えたように思います。
注目のコメント
エビデンスをベースにした政策決定が求められている中、エビデンスのコミュニケーションも重要であると考えさせられる記事。ファクトを述べることと、コミュニケートすることは同じではないのだな、と。特に、今回のように、政治的な立場で発言するならば、もう少しストラテジーを練って、どのような目的でどのような発言をし、どのような効果を期待しているのかをもっと考えてもよいのでは?
人間を「数」や「データ」に置き換えると、そう見えるのでしょう。数多の経済学の欠陥がここにある。
人間を「数」と「データ」で捉え、その指標が、絶対的な効力を持つ恐ろしさを警鐘している人が、あまりに少ない。
生産性という言葉もそうだ。いつから、人間はロボットに成り下がったのだ、、、或いは、時給という考え方も、究極、人間を単なる道具としてみる発想だ。
考えてみると、産業革命以降の、工業型モデル、軍事組織型モデルが、我々の中に染み付いている。経済を中心にモノを考えると、人間を単なる「数」と「データ」にだけ見えてしまうのだろう。
さて、コロナ感染で毎日たくさんの人が亡くなっていて、その家族や関係者の悲しみは、「数」に表せますか。日々、奮闘されている医療現場の方々の苦労は「データ」に表せますか。
この人の発想から、私達自身にも、染み込んでしまっている近代からの脱却を真剣に考えないとな、考えてみた。つい先日までデータと科学的根拠を持って判断しろと政府に要求していた人間がデーターを出されると感情的な反論をする不思議な現象がおきてますね笑
日本政府がデータを持ち出して説明できない最大の理由は大多数の国民がデータもとにした不都合な真実を受け入られないからです。
日本は民主主義。政府の方針は我々国民の民意の写し鏡に他なりません。