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非認知能力という言葉を初めて聞きました。
測定できない能力ゆえに定義すらもままならないということなんですね。

正直どうやったらそれを育めるのか全くわからないが、育もうとするのがおこがましい気もします。
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20年前、30代前半で母親という「キャリア」のJob Description を考えた時に、母親という役目の責任の重大さを痛感しました。

当時、アメリカの大学院で勉強していたemotional intelligence for enhancing performance は人として生きていくために大切なことだと痛感したので、子育てにはEIを含めた様々な非認知能力の書籍を読み実践を試みました。

感情の言語化あそび
思考のクセあそび
他者や環境への知的好奇心あそび

は特に母親として子供達と一緒に続けました。
子育ては母育て。
自分自身が日々の順境と逆境から学び楽しむこと自体こそ非認知能力であると感じています。
日本でも非認知能力が保育園や幼稚園の指針に言及がされるようになりました。

非認知能力が大切ということはジェームズヘックマンの論文が数万回引用されてることからもわかります。
一方で非認知能力が人生の幸せや成功に関係があることは分かってますが、定量的に測定が難しいことからどの教育手法がどの程度各個人の非認知能力を向上させてるかどうかは曖昧です。

認知能力のようにわかりやすくなれば、より多くの子どもたちが、非認知能力の向上をできる機会を得れると思います。1日でも早い「視覚化」の実現をしたいです。
学者ではない立場を利用して、私なりに大胆に「非認知能力」を定義するならば、「これからの時代をたくましく生きていくうえで子どもたちが身に付けるべきだと大人たちが思い込んでいる、存在するのかどうだかすら怪しい曖昧な力すべて」となる。
「これからの時代に特に重要な非認知能力は何か」という問いに意味はなく、子どもが自分らしい人生を送るために必要な非認知能力のブレンドは、一人一人違う。
「生きる力=認知能力+非認知能力」と表記すれば単純に見えますが、認知能力と非認知能力は互いに影響を及ぼして発達していく(いわゆる非線形的な構造となっている)のが複雑なポイントですね。

スポーツの競技力を表す際に、心技体という言葉が使われますが、それぞれの要素のみにアプローチしてトレーニングをすれば向上するという単純なものではありません。心・技・体は常に互いに影響を及ぼし合い、時にはある要素の向上が原因となり別の要素が低下することがあるからです。

一貫したルールに基づいた因子を入力すれば良い出力が得られるわけではないのが、人間の難しいところであり、面白いところだと思います。
大概の場合、学力やスポーツの能力などわかりやすく目に見えるものを向上させたがるのが親。子ども自身が、向上させるためにどうするか考えること、モチベーションの維持も含めて、また、ある事象に取り組むときに「なぜ」「どうやって」というようなメタ認知まで含めたものが非認知能力な気がする。

そんな中、田中ウルヴェ京さんの「母親」についてのみのコメントはモヤモヤします。家事育児ワンオペからのひとり親してた身からすると、まさに他の記事にあったような #父親のモヤモヤ が湧きます。自分自身も育児して得られたことが多いからこそなのですが。
認知能力、非認知能力。

認知能力というのはいま人間が定量評価できる人の能力、非認知能力とはそれ以外、ということ?

だとしたら、その2分類は大雑把すぎるというか、意味がないというか。

学びの場なんて遊びの中や暮らしの中、どこにでもあるので、なんと申しますか、誰でもどんな風にでも才能を伸ばすことができると思います。テストの成績とか進学受験とか大切なことですが、世の中もっと大切なことがあることに気付かなければですね。私もまだまだ修行中です。
「非認知能力」と言う言葉が、最近クローズアップされています。特に、新しく身につけることのできる超能力ではないと思います。私は「生きている上で経験した全て」がそれに当たると思います。ただその「全て」を受け入れて「経験値」として積み重ねられるかどうか・・・それには「親が子供にどう関わるか」が大きく影響すると感じています。
「子どもが自分らしい人生を送るために必要な非認知能力のブレンドは、一人一人違う」という言葉に納得。。答えは子ども自身の中にあり、大人はそれを子どもが見つけられるように手助けしていけばいいのだと思います。