最後の30年をどう生きるか
コメント
選択しているユーザー
最後の30年をどう生きるか。
良いタイトルですね。
私自身、50歳のときにまさに同じ思いに駆られ、そこから狂ったように勉強して博士号を取得し、大学教員に転じました。
伊能忠敬や松尾芭蕉の例を挙げるまでもなく、何かを始めることに年齢は関係ありません。スポーツだけは無理だろうと思っていたら、50代で大学野球部で活躍する人がいることをNewsPicksで知りました。
ノマドやビレッジズなど国や時代により呼び方は違いますし、私は概念的なことは不案内ですが、大切なことは自分自身に問いかけることではないでしょうか。
どう生きたいのかと。
注目のコメント
最後の30年が把握できるのなら、苦労せずに安心して生活できるように準備をしていきたい気持ちもありますが、絶対的なものはありません。その瞬間に向き合えるように、健康と人間関係だけは大切にしておきたい
映画は見てませんが、NHKのドキュメンタリー番組は興味深く拝見しました。
先ずコミュニティに対する認識が、欧米圏とアジアの儒教圏では異なるでしょう。そういった意味では、ノマドランドのようなコミュニティもっと言えば「世間」なるものを一神教の神様のように気にする文化を間接的にでも世界に紹介して認知して貰ったのは良い傾向なのかもしれません(映画見てないですが、、)。
次に都市と郊外についてもあるでしょうね。匿名で自由に生きることが出来ると錯覚しがちな都市では、お金さえあれば夢を追うのも、生活インフラを使うのも可能です。それがコロナ禍で経済がストップした際には、匿名に埋もれていた階層が露わになり、ホームレスや女性に注目が集まったように思えます。
私論では有りますが、自由を謳歌出来るはずの都市で、世間と隣り合わせで生きる構図を、トレードオフや二項論理で片づけずに、自らの生き方と共に考えて行動することが必要なタイミングなんだと思います。
高所得者のGated Communityでさえも、考えようによってはナポレオン的民衆の統計処理に基づいた精神病院のようにも捉えられますし、感染者数や治験という大数の法則によってメッセージを出さざるを得ない為政者達の言葉とどう付き合うのかも含めて、30年も待たずに死と隣り合わせで生きていることの怖さをもっと感じて生きるべきなのかなぁと最近富みに思います。最後の30年。それがいつか分かっていたら、しんど過ぎる。その30年は、健康で自由で楽しい生活が送れるとは限らないですし。1日1日を大切に生きる、くらいしか思い浮かばないです。すみません。
バス停で殺害された女性は、路上生活を送りながらも、懸命に、丁寧に、自分に正直に、生きていたのではないかと思います。人生の選択の結果は、他人から見れば残酷な結末でしたが。あくまでも「他人から見れば」だと思います。