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勉強が習慣化するか、その結果中学受験するかは育った家庭環境や両親の学歴が左右するところが大きいと思う。
早くに受験すると属性が似た社会に居続けて人生を歩むことになるが、長くそこにいて多様性や受容性、異質と交わる力や胆力がそなわるか、知識でなく生き抜く知恵が身につくか。

社会に出た瞬間から異種格闘技。
学歴でいう下流出身で圧倒的に知恵があり、胆力あり、敵わない相手にごまんと会う。
一方で思考力、分析力でやはり敵わないと思う一流大卒にもごまんとあう。優れた人は学歴社会の上流にも下流にもいるが、頭の良さ、強さ、戦い方のベクトルが違う印象がある。
人生は 最後までわからないのでは?
親や家庭環境の影響が大きいことはわかるが、 外の世界との触れ合いや体験を通じて、また新しいことを自分で見つけることも多いと思う。挫折を知らず大人になって、大きくつまづく人もいる。 順風満帆だけが人生ではないのではなかろうか。
「カウンターでお寿司食べるのは 自分のお金で大人になってから」と育てられたが それは古い時代の話か、、、、
何言ってんだろ...親の教養や収入が子供に影響するのは当たり前で、昔よりかなり改善されてる(昔は親が農民なら農民にしかなれないし、武士の子は自動的に武士になるわけだから)。

で、何よりくだらないのは中学受験云々のくだり。僕中学受験してないけど、そんなんで人生決まったとは全く思わんし、20代後半に入り絶賛人生変革中。
最近は中学受験を重視する傾向があるかもしれんけど、その人たちが社会に出て、自分の人生を評価するのは数十年先の話よね?

むしろ、教育の価値が見直されて(偏差値や学歴だけで仕事がもらえるほど甘い時代じゃない)、より大人になってからの選択で人生変えられる時代だと思いますよ。
ケースとして高卒と大卒の夫婦で見ているテレビ番組も違えば教養が全然違うという話がありますが、

国際結婚であれば見ていたテレビ番組なんて同じものは少ないし、現在もテレビは基本見ないし、たまたまつけていても双方のクイズ番組に答えられないし、、、

ある意味一般的な日本人家庭と比べられる事が少ないから、気にもしないし、多様で良いのでは。と思ってしまう。

学力より大切だと思うのはチャレンジ精神、やり切る力、コミュニケーション力、伝える力。人間社会サバイバルスキルは、家庭でも訓練できると思う。
そんな格差は日本はほかの国に比べればまだまだまし。
今の日本に生まれて、ただで義務教育が受けれるなんてすばらしいはず。
歴史的にみても恵まれてる。江戸時代以前は言うまでもなく、戦前は機会の平等すらなかった。
やばい、といっておけばマスコミ的に人の注意をひけるというのは、今も昔もかわらない。コロナでもそう・・・
やばいかやばくないか、を自分の頭で考えることが肝要。
親が子どもの教育に前のめりになりすぎるの危険。また、親自身のやり方を子に押し付けるのはよくない。人間は失敗して学んでいくもので、その繰り返しだし、親自身も学び続け、試行錯誤し続ける力を育てることが大切
教育格差については何度かすでにコメントしているので、ここではあえて「中学受験できるかどうかでその後の人生のルートがある程度決まってしまう」という点についてコメントしたい。
私の息子が通っていた文京区の某小学校は、9割以上が中学受験をするというすごい学校だった。
受験日が集中する2月1日には、6年生は約○人中5人しか登校しなかったという。
息子も中学受験をしたが、親子ともども熾烈な戦いだった。仲間たちと一緒になって最後までやり遂げたことは彼にとって、そして私にとってもいい経験になった。
結果として、周囲の子の多くは、超進学校に合格。息子が、行くことになった学校名を告げると、みんなバカにしたという。
泣いて家に帰って来たことを今でも鮮明に覚えている。
異常なまでの中学受験熱に乗っかってしまった自分が愚の骨頂だったといまだに思っている。
中学受験でその後の人生ルートがある程度決まるなんて、やはり何かおかしい。
いくらでも挽回劇はある。私自身がそうだ。なんども道をはずして、寄り道をし、はみ出してきた。
それがあっての今の自分だ。

管理職になってよく思うことは、大学のランクと仕事での能力は比例しているわけではないことだ。
一流校出ではないが、コミュニケーション能力が高くて積極的に、自発的に行動できる人たちがたくさんいる。
いい中学や大学に行くことがゴールではない。何をするかだ。自分が食べていけて幸せなことで十分ではないのか。
どちらかというと「小学4年生で人生が決まる」という考えが進行する閉塞社会のヤバさ、かもしれません。

就職先は公務員や大企業以外にもスタートアップなど選択肢は山ほどありますし、日本に拘る必要もないと思います。ただ、確かに記事にある様に経済的な環境の格差は広がっているかもしれません。一方で、大学も即戦力を目指すオンライン大学も増えましたし学費の安い大学もあります。アメリカのラムダスクールは採用がきまってから学費を後払いする仕組みです。また、University of Peopleの様に学費が安い大学もあります。例えば英語、プログラミング、AIというものに子供が興味をもてばビジネスの最前線で働けるのではないでしょうか。やる気があればネットでも十分英語は勉強できると思います。
僕は両親の離婚を小学校で経験し貧困を経験していますが人生何があるか分からないので子供の可能性を潰さないことだと思います。

https://techblitz.com/lambdaschool/
難関大に合格するのは中高一貫校だと言われていても、事実はそうではないかもしれません。統計的事実で持ってして、その要因を究明することが大切なんじゃないですか?要は私立が効果的な教育を行なっているならば、公立でその方法を取り入れればいいし、そうすれば学費による格差は無くせると思います。また、私立に入れるということは、ある程度生活の習慣が似通っている(テレビの例の通り)人が集まるということであり、それもまた、私立ではない人とのギャップを大きくする要因ではないかと思います。そういう意味では、他者の理解を目的にするならば公立に行く方が学びは多いような気がします。

それよりも何よりもまず1番問題なのは「教育が足りないことの問題は、教育を受けなければ理解すらできない」ことにあります。だからこそ、教育というのは難しく、だからこそ、過去の慣習に囚われてしまいがちになり、だからこそ、今のような詰め込み方式になってしまいます。

ここからは持論ですが、教育とは知識を教えることではなく、「知識を得る」という行為を覚えさせることだと思ってます。勉強する型を作ってしまえば、教える側は楽にスケジュールを管理できますし効率的に物事が進みます。ですが、そこに教えられる側の意思は介在しません。何もしなくてもスケジュールが組まれ、教えてもらえる環境はそのものが当人を堕落させます。本当に教えなければならないのは、勉強の仕方だと私は思います。そこは絶対に効率化してはいけないところで、効率化を自分で学ぶべきところです。だからこそ、某中学受験塾のような「親のために、やってる感が見やすい紙を大量に使用しています。」みたいな効率化すべきところとそうでないところを取り違えるようなところがお金をもらう時代が本当に忌々しく思います。
勉強とは本来、自分がやりたいと思うからやるものであり、子供が自分ためにと考えてやるものでも、ましてや親が子供のためにとやらせるものでもありません。私は自分の研究を聞かれ、答えるたびに「それはなんのためになるの?」と聞かれることが本当に悲しくて仕方がないです。
「人間は考える葦である」という言葉にはその全てが、あるいはそれ以上のものが詰まっている気がします。
私は死ぬまで考える葦でありたいと思います。
身分や収入の固定化は昔よりは改善されてるでしょう。
士農工商という言葉はもう学校教育の現場では使われておらず、侍とそれ以外という区分けだったみたいですね、江戸時代。
また、農民、商人が転じて侍になることも藩によってはあったとか。勿論簡単ではなかったでしょうけども。

今の時代はそうした時代と比べればはるかに恵まれていますが、それでも、やはり生まれた家や家庭環境で大きな差があるのは間違いありません。努力で埋めるには大きすぎる差もあったりします。努力でどうにかなるレベルを遥かに超えていることはいくらでもあるんですよね。実は苦労なんて知らない方が幸せですし。
マーク・ザッカーバーグはハーバードにいたから起業したんでしょうし、ジョブズやゲイツはコンピュータ黎明期のあの時代に生まれたからこそ成功を成し遂げたわけで。

娘の早期教育に熱心な妻を見てると、幼少期の教育環境の重要性は痛感しています。自分にはこういう環境は無かったなあ…。