社民党がJRに「謝罪要求」声明、伊是名夏子さん「車イス乗車拒否」で 広報に見解を聞いた
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来宮駅周辺の道は狭く、電動車椅子で駅を降りた後に本当に観光出来たのか…という点がそもそも疑問です。
また、手動型の車椅子なら人を乗せたまま大人4人ぐらいで持ち上げる事は可能ですが、重さ100kg+人の体重の電動車椅子で「担げ」は自身の身の安全は考えなかったのか?
また、対応した駅員が負傷(労災)になる可能性も考えられました。
かつて私が勤務していた駅にもエレベーターがなく、車椅子の方の対応で、4人がかりで運んだ事がありますが、そもそも自動改札化された駅に余剰人員などおらず、私はお昼ご飯を食べている途中に出動した事もあります(そういう日に限ってお昼はラーメンだったり)。
また、この手の方々は実態としては「旅行したい」のではなく、対応の悪さを批判する事で目立ちたいケースが多く、この方ではない常連の方には、どんな先回りの対応をしても色々な屁理屈で必ず苦情になっていました。
障がいを持つ方の大半はそんな事はなく、感謝される事があれば、対応する側も「して良かった」「(感謝される事で)役に立てるなら、また利用して頂きたい」と思えるでしょう。
今回は資本力があるJR東日本でしたが、潰れかけている鉄道にまで「全ての駅のバリアフリーを完璧に整備しろ」と仰るのでしょうか?
極論を言うと、鳥目で夜間視力が極端に落ちる私が、「鳥目の人間でも安心して運転できるようド田舎の道全てに街灯や反射材を完備しろ!」なんて言ったら、大半の方は「免許返納しろ!」と言うでしょうね。
健常者の低所得層が1番弱者なのが現代社会だと感じる事が増えてきました。
注目のコメント
「障がい者を含むすべての人の移動の自由は権利です」
これはその通り。
しかしながら、民間企業に対して補助も出さずにそれを強制するのは酷な話だ。
例えばJR北海道では路線が減少しているような経営難な状態だ。
ここでバリアフリー化しながら移動が困難な人へのサポート体制まで確保したのであれば、更にどこかの路線が割を食う話にならないだろうか。
これでは本末転倒と言える。
従って、このようなバリアフリー化については公共事業として政府支出により実現されねばならない側面がある。
一方で社民党は、公共事業の削減を推進してきた。
この期に、社民党も公共事業の削減を訴えてきた事が誤りだった事も認めてはどうか。
そもそも社会民主主義を標榜するなら、そのイデオロギーからは、公共事業の拡大を主張せねばならなかったはずだ。
このあたりの欺瞞が、現在の議席に反映されているのではないか。
問題点を糾弾するだけでなく、社会民主主義に則った政策もセットで主張すべきではないだろうか。
少なくともJRの対応を叩くだけなのは社会民主主義ではない。
追記:
私は「車椅子で生活する人が、車椅子不要の人と同じように生活できる社会」が理想的だとは思わない。
私が車椅子生活をしていた時、エレベーターがあろうと何だろうと、そもそも車椅子生活である事時点で不便だったからだ。
従って、例えばアシストスーツなどの科学技術発展によって「現在車椅子生活を強いられている人が、車椅子などを使わなくても、現在車椅子不要な人と同じように生活できる社会」の方が理想的だと考える。
例えば政府による長期プロジェクト設定を行えば、10年以内にも実現可能のようにも思う。
宣言して10年後に、人が月に行って無事に戻って来たようにだ。バリアフリーは総論は賛成だけど、あまりJRをバッシングするのもどうかと思う。今でも鉄道のバリアフリーに関する法令は相当厳しく、鉄道事業者に新駅設置を躊躇させている。
例えば、東海道線の戸塚~小田原は湘南エリアの人口密集地帯を走るのに、5キロおきぐらいのまばらな間隔でしか駅がない。小田原まで開通したのは1920年で、直後に設置された鴨宮駅を最後に100年近く新駅はできていない。当然、新駅設置運動がしばしば持ち上がるが、バリアフリー完備の駅を作るのに100億円前後かかるのでJRは極めて消極的。この地域に住む人は線路がすぐそばにあるのに駅がなく、クルマがないと不便という状況で、結果的に移動の自由が奪われている面がある。
新駅ができないだけならまだましだが、来宮駅のようにターミナル駅のそばの小駅は今後どんどん整理・廃止されるかもしれない。社民党に人権を語る資格はないので無視で🆗
解党が妥当なのに何故かまだ存在している。
総括して解党し、改めて志の同じ者を集めて新党を作るべきだった。
そしてそれは現在の議席数という形で突き付けられているのに現実を直視出来ていない。
ちゃんと解党してさえいればこの方も社民党ではないまともな党に所属してバックアップを受けられてキチンとした議論になったでしょう。
損失ですよね。