子どもたちにとってのサードプレイス。自宅と学校以外の「居場所」が果たす役割
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あの頃のサードプレイスが懐かしい、そして羨ましい。今はコロナで居場所なし。
昭和子供のサードプレイスは駄菓子屋でした。厳しいオバさんに怒られながらも楽しい社会勉強の場でした。
令和オジサンのサードプレイスは飲み屋です。翌日には覚えていない他愛のない会話が最高です。
でも、コロナでサードプレイスには行けません。あぁ第三の居場所が待ち遠しい。
注目のコメント
「ねばならない」から解放された場所が、今の日本にはどれだけあるのだろうか?
学校は「ねばならない」の巣窟。サードプレイスと呼ばれる地域の居場所は、ほとんど見当たらない。
少なくとも家庭では、規制や競争などの他者がつくるモノサシを取っ払った環境をつくりたい。妻の実家に帰省するのを心待ちにする長男(明日で3歳)の姿を見ていると、まさに家でも保育園でもない、自分が自由に動き回れる場所の存在価値を強く感じる。
親にとっても、その自由に動き回れる姿をみて安心するという効果は大きい。