NFTの本当の可能性は「8月12日の三河屋のコーラ」にあり
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良記事!
本当にマスコンテンツに近いものの一部にシリアル番号を入れてNFTで保護したとしても、そこにはあまり大きな価値は生まれないのでは……と思っている。やってることはDRMと変わらないからだ。
だが、よりアートに近いもの、もしくはサインやちょっとした付加価値としてのメモやイラストがついたものはどうだろう? そこには、アーティストへのリスペクトの表し方とマネタイズについて、新しい可能性が広がっている。
「ファンとアーティストの関係を担保するもの」ならば、長期的に見ても、十分な可能性と市場が広がっているのではないか……と感じるし、その先に高い価値が生まれることもあるだろう、と思うのだ。かつて。ヤフオクでその商品に関する独自のストーリーを伝えて、高めて売ったことがあります。
そのストーリーが担保されてるのが8月12日の三河屋のコーラならぬNFT。受け入れられるかどうかは人によると思うが、受け入れられる人は価値を見出すだろうし、そうでない人は何も反応しないか、批判に回るかと思う。ここにも、価値に対する断絶が生まれるのかもしれない。すごくしっくりしました。DRMと何が違うのか。ここにブロックチェーンを使う意義があるんですね。
[本文抜粋]
NFTで「唯一である」ことが担保されるのは、作品のデータそのものではない。作品に付随する情報、すなわち「どのように供給され、どう売られたものなのか」という付帯情報だけなのである。