「わきまえる障害者になりたくない」JR東の対応に声上げた、車いすの伊是名夏子さん
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注目のコメント
この手の問題の解決は非常に難しいと改めて感じさせられます。
伊是名 夏子さんのブログを拝見させていただきましたが問題点の基準はご自身が「そう感じる」が論点になっているように感じます。
もちろん当事者なので「ご自身がそう感じた」ことの発信は重要ですが、コストがかかることに関しては双方の折衷が無ければ正常に物事は成り立ちません。
今回の一連の出来事の問題は「来宮駅がバリアフリーでないことの案内が不足していた」ことに全てが起因しているように思います。
案内が間違えていたことに対して、それを許容して別の対策を講じるのか、案内不足はサービス提供者の問題なので不足分のサービスを提供させるのかという二択があり、今回は当事者が後者を選んだことが世間の関心を集める結果になっています。
JRさんも今回のことを学びとして、「明確な案内」を設置されることを願います。普段、障がいを持った方々と接している身としては、この方のように「主張」してもらうことはとても大事なように感じます。それだけ、普段の生活は制限を強いられていますから。
例えばバリアフリーとして整備されている施設は本当に増えました。でも、結構使えない物が多いんですよね。例えば玄関までのスロープ。幅が狭かったり、旋回の角度が急だったりして使うのにかなり苦労するケースがあります。
この事例からもわかるように、当事者でないとなかなかわからない事も多いです。
今回の件、また伊是さんの主張されていることについて賛同しかねる部分も多いですが、「あーでもない、こーでもない」って言ってくれる人も必要です。でないと使えない物や環境を作っているだけになりますから。私の地元沿線にも無人駅が2つあり、1駅は数年前にバリアフリー化しました。当時、法への準拠とはいえ「よくこんな人も来ない駅まで完全対応したな」と感心したもの。もう片方の駅はまだ改修すら始まっていませんが、普段ほとんど降りる人もいないその駅に、いきなり旅行者が来て「バリアフリー化が出来てない。」と大声を上げて、メディアを呼び出しリークする姿を想像すると流石に少し行き過ぎに感じますし、JRに同情の声が上がる点も理解できます。
今回同じく車椅子生活をされている方々からの非難も多くあったという記事もありましたが、個人の不満や主張と総意の境目は受け手がきちんと精査しながら読み解いていかねばならないものだということを改めて考えさせられます。また、この件に関しては業界内の方々の声はほとんど聞かれません。"沈黙"の意味するところも、察すべき点かと思います。