堀江貴文が「海外留学は過去の遺物」と断じる訳 | 学校・受験
コメント
注目のコメント
私自身がマサチューセッツ工科大学(MIT)のノーベル賞授賞ラボに5年間ほど留学していましたが、「知識と人脈」という意味でかけがえない経験ができたと思っています。MITとハーバードはボストンの中で電車で2駅の距離にあり、両方の大学の多くの素晴らしいセミナーや授業を、自由に受けることができます。
日々のセミナーや実験が終わった後に、研究仲間たちとバーで生ビールを飲みながら、その日のセミナーについてディスカッションする時間は、常に新しいアイディアが生まれる瞬間でした。これは、なかなかSNSやMOOCsでは味わえないものだと思います。(おそらく、大好きなミュージシャンのライブに行くのと、そのDVDを見ている事の差に近い気がします)
歴史上にはしばしば吉田松陰の松下村塾のような、錚々たる顔ぶれが一つの場所に集結する瞬間があります。その現象は決して偶然ではなく、強烈な個性を持った人と人がぶつかって、画期的なアイディアが当たり前のように溢れる「空間」が生まれた結果だと思うのです。
ジョン・ミルトンも「肝心なのは、絵が描かれているその場所に、あなた自身もいることだ」と言っていますが、世界中から最先端技術やアイディアが集まる場所に身を置くという意味において、留学は素晴らしい経験だったと思います。ホリエモンが言っていた、程度の理由でやめる人はやめた方がよいでしょうね。海外留学と大きな括りになっていますが、結局は個々人の目的の問題だと思います。
そこさえはっきりしていればホリエモンがそんなこと言っていたんだ、程度に内容を咀嚼して、あとは他人がどうこう言おうが自分の責任で勝手にするのが本来。その程度には自分のスタンスが定まっていないと違う文化に放り込まれた先で結局苦労します。
経済面でも人の動きの面でも日本のプレゼンスがどんどん下がってるのを当地で見ているだけに、個人的には海外留学や移住について意識の面でも現実面でもハードルが下がればいいなと思います。ただ相手の国があってのことですし、何より損得やコスパで語られると常にお得ですとは口が裂けても言えない。
ただ「違う土地に行って暮らしてみたいのなら大学がどうのと言わずさっさと出かければよいだけ」とありますが、留学生活も暮らしですし、国にもよりますがその土地で暮らすためのキャリアを築くのに留学が手堅い手段なのも事実です。
知識を得たい、語学を鍛えたい、異なる土地で暮らしたい。目的や憧れは人それぞれですので、手段も人それぞれでよいと思います。そんな手段の一つである留学の適不適もまた人それぞれです。目的の問題だと思いますが、
グローバル化とIT技術の進展は
物理的な距離の制約をなくしてくれているので、
海外に行かなければいけない理由は
確かに減ってると思います。
私の場合は、自国のことをより客観的に
見れるようになったところと、
違う文化に触れることで多様性を
受け入れられるようになったことが
海外に来て得られたものです。
その他にも、日本では、母国語で書いてある
専門書の多さに驚きました。
韓国はまだまだ母国語で書いてある専門書が少なく、
英語の原書をそのまま使う場合が多いです。
ネットで取れる情報と、本で得られる情報は
ジャンルが違うと思っている人として、
専門知識へのアクセスしやすさは役に立ちました。