新聞が読まれなくなった至極当然の理由、それでも刷り続けるしかない裏事情
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いろいろご高説を垂れてるけど、
単に時代に取り残された化石物であって
不要な物になりつつあるということ。
速報性、拡散性、信憑性、
どれを取っても勝る要素がないのだから、なくなるのは当然。
やってることは、どれもただの延命措置ですよ。入社した頃は新聞をとっていない(=新聞を読んでいない)というだけでおじさん連中から白い目で見られたもんです。
ネットニュース見てますけど?と言いたかったがぐっと堪えて耐えました。
今や、新聞のことを言うおじさんは絶滅しました。
善き善き。テレビ、新聞の主要メディアは自らの立ち位置をはっきりさせるべきだと思います。一番の問題は立ち位置が不明瞭であることにより、彼らの発信する情報を正しく読み取れないことです。記事に関連して三点コメントします。
1. 記者と取材先(特に公務員)との関係性について
下記の記事をpickしコメントしました。
朝日新聞の記者行動基準の改定ー賭け麻雀問題
https://newspicks.com/news/5718521/?utm_medium=urlshare&utm_campaign=np_urlshare&invoker=np_urlshare_uid489702&utm_source=newspicks
2.村木さんの冤罪事件について
朝日新聞は一連の取材、報道についての検証記事を書いています(2010年6月10日)。
記事では、編集の責任者のコメントを掲載。村木さんの関与が疑われた、障害者団体向け郵便割引制度が悪用された事件について、「権力を監視するというメディアの役割から、中央官庁の疑惑を積極的に報道する意義はあった」とした上で「一方の公権力である検察をチェックできたのか、捜査の裏付けは十分だったのか。その批判には謙虚に耳を傾けたい」としています。さらに、朝日新聞の報道や取材のルールに則って、容疑者、被告側の主張も可能な限り掲載してきたなどとした上で「しかし、その後の公判で、元局長の関与を認めたとされる元部下らの供述調書の大半が「検事の作文」として証拠採用されない事態までは、予測できませんでした」としています。
一、そもそも警察検察取材は彼らの捜査状況、内容を彼らから聞いてきて書くのが実際であり、捜査が適正に行われていたか、内容が事実であるか、の検証を目的としていない。そのようなプロセスはない。メディアが逐一そのような検証を行っているかのような説明は、情報の内容、メディアの役割について誤った理解、期待を与えている。
ニ、捜査の不正が予測できなかったとしているが、不正が予測できない状況であれば捜査は適切に行われ、また捜査機関の情報がそのまま事実として受け入れられるということなのか。不正があろうがなかろうが、捜査機関の情報はあくまで彼らの主張では?
3.環境問題
県庁内の記者クラブだけが空調温度を自由に設定でき夏場はキンキンに冷えていた。15年以上前の話。今は?